「源流を遡る」 第4回
第4回 北方へ針路を取れ! <2007年6月>
直感的には正しいように思うのだけれど技術が追いつかずに“もどかしい!”と思われた経験はないでしょうか? これらの経験は、後で振り返ると大変興味深い歴史的なエピソードだったりするようです。最近、 「フェルマーの最終定理」(新潮文庫、サイモン・シン著)を読んで強くそう思いました。この本には、3世紀に渡って誰も解くことのできなかった“フェルマーの定理”を証明した数学者(アンドリュー・ワイルズ)と、その定理に人生をささげた多くの数学者の物語が書かれています。なぜ、この定理の証明に3世紀もの時間が必要だったか?それは、証明に現代数学の知識(技術)を総動員する必要があったからです。さらにこの定理を証明するには、バラバラになされた証明の発する僅かな意味の信号を聞き分け、正しく組み立てることのできる数学者の存在も不可欠でした。つまり、技術だけあっても、それを正しく使うことのできる人間がいなければ新しい発見にはつながらないということなのかも知れません。
我々の分野では、PCRの技術などがこれに当たりますね。PCR手法の実用化と、PCR理論は前後しています。ただ、果たして耐熱性ポリメラーゼが先に発見されていて、その後すぐにPCR法が発明されたかは、今となっては推し量るすべもありません。ちなみに、サイモン・シンの「ビッグバン宇宙論 上・下」(新潮社)も大変興味深いエピソードが満載されており、上著同様に私のイチオシ!の一冊です。
さて、前回まではサザンブロット法のお話でしたね。サザンブロット法といえば、次はノーザンブロット法。例によって色々と調べましたので、以下ご報告します。時間のある方はお付き合いください。
J. C. Alwine et al. (1977) Method for detection of specific RNAs in agarose gels by transfer to diazobenzyloxymethyl-paper and hybridization with DNA probes. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 74: 5350-5354 |
ノーザンブロット法は、(サザンブロット法がDNAを解析する方法であったのに対し)、RNAを解析する方法です。上に挙げた、米国スタンフォード大学の研究グループによる論文が最初の報告のようです。エジンバラ大学(英国)のサザン博士の論文が1975年でしたので、それから2年しか経っていません。実際の実験と論文を書く時間を考えると、サザン博士の論文を読んですぐに着手した、もしくはサザン博士の研究の内容を前もって知っていた可能性があるように感じます。
この論文のイントロダクションでAlwineらは、活性化したワットマン濾紙(DBM-paper)にRNAを共有結合する技術が1975年に開発されたこと[Cell (1975) 5:301-310]に触れています。ニトロセルロール膜を用いるサザンブロット法の一つの欠点は、RNAの固定化ができないということでした。この固定化技術が開発されたことは、Alwineらにとって大変に意味のあることだったのでしょう。
1975年といえば、サザン博士がサザンブロット法を報告した年でもあります。この頃の分子生物学者は、ニトロセルロース膜を用いたDNAのドットブロット解析ではRNAの解析はできない事実を知っていたはずです。また、翻って考えると、RNAさえ固定化できれば、ハイブリダイゼーション解析などを駆使してRNAの様々な情報が得られるであろうことは認識していたはずです。
そのような背景の中、1975年になって、サザンブロット法が報告され、さらにRNAの固定化法が報告されました。その時、それなりの知識とRNA解析に夢を持っていた科学者は、これらの論文を見て“ピーン”ときたに違いありません。これらの方法をあわせると、今まで誰も知ることのできなかったRNAの発現量と分子サイズの情報が両方得られる可能性があるわけですから。Alwineらの論文もまさにそのような書き方になっています。また、この論文のマテメソは、その当時の先端のプロトコールをミックスしたような感じになっています。RNAの電気泳動に猛毒の有機水銀を使ったりする以外は、結構現代でも通用するかも知れません。プローブのラベル法などは、この当時にサザンブロット法で行われていたものが使われています。
サザンブロット法という呼び名が1978年の10月くらいから論文に登場したという話は前回しましたね。よって当然ながら、1977年のAlwineらの報告には、ノーザンブロット法という呼び名はともかく、サザンブロット法という呼び名も一切出てきません。私の調べた限りでは「ノーザンブロット」という名称が一番最初に使われた論文は1979年のNature 282: 872-874です。1978年くらいからサザンブロット法という名称が頻繁に使われるようになり、DNAと同程度に興味深い成分であるRNAの解析に用いることのできる方法として、洒落で用いられ始めたのではないでしょうか。
余談ですが、もしニトロセルロース膜にRNAが結合する性質があったならば、RNAを解析する方法もサザンブロット法の論文の変法として扱われていたかも知れません。そうすれば、ノーザンブロット法という呼び名も誕生していなかった可能性も考えられます。でも歴史に“If”は禁物ですね。
1977年以降、ノーザンブロット法は、RNA解析の分野の協力な武器として長い間使われるようになります。この手法がトランスクリプトーム解析の扉を押し開けたと言っても過言ではないかも知れません。最近頻繁に使われるようになったDNA Chipの技術もノーザンブロット法の変法の一つと言えます。この方法では、RNAの分子量の情報は得られませんが、実に多くのRNAの発現を一気に観察することができるという利点があります。
たまたま、サザン(南)という名前の博士が「電気泳動ゲルから膜へDNA成分を写し取って解析する“ブロッティング”という方法」を開発したという偶然が“サザンブロット法”という呼び名を生み出す要因となりました。そして、別のグループの科学者が、その方法の欠点であったRNAの解析を克服し、その手法の夢のような可能性が次なる呼び名(すなわちノーザン、そしてウエスタン)のドミノを倒したといえるのかも知れません。
次回は、この流れに乗った次なる解析法に関するうんちくに挑戦してみます。後一つ残されたセントラルドグマのメンバーです。お楽しみに!
PS. 私のこれらの技術への思い入れは、以前、PerfectHyb®という商品の開発に携わったことがあり、現像液で白衣が“黒衣”になるほどサザン、およびノーザン解析を経験したからかもしれません・・・。
(T.K.)
2007年6月掲載
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