「源流を遡る」 第2回

第2回 南のシミ? -倒れ始めたドミノ-  <2007年2月>

   昨年12月から始めさせていただいたこのシリーズですが、第2回目をお送りします。このシリーズ、物質や手法につけられた名前の起源を、論文を頼りに辿ってゆきます。前回は、amberコドンの語源に関する話でした。今回は、”南のシミ”についてお届けします。

   “南のシミ”。種明かしは不要ですね。“南のシミ”とは“サザン(南の)ブロット(シミ[染み])”法のことです。
 

   この方法、以下の工程から成るDNAの検出法を指すことも皆様ご存知ですよね。

① 制限酵素処理を行ったDNA断片をアガロース電気泳動で分離する。

② 電気泳動後に、変性した1本鎖DNAを膜にトランスファー(ブロット)する。

③ ラベルした核酸(プローブと呼びます)をハイブリダイズさせ、プローブに相補的なDNA断片を検出する。

   “ブロット(blot)”には、“染み”や“汚れ”という意味のほかに、“インクや汚れなどを吸い取り紙などで吸い取る”というような意味もあります。カーペットにこぼした醤油に雑巾を被せて吸い取るようなイメージです。ゲルなどから核酸などを膜に写し取る操作のことを、いつしかそう呼ぶようになったようです。

   “サザン(Southern)”の部分は、ご存知のとおり、この手法の考案者であるEdwin Mellor Southern博士に由来します。これに倣って、類似した手法にノーザン(北)ブロット法とウェスタン(西)ブロット法という名前が付けられたことはあまりにも有名な話ですね。上では単に“サザンブロット法”としましたが、ゲル中のDNAを膜にトランスファーする方法を”サザンブロッティング法”、ハイブリダイゼーションまで含めて、“サザンブロッティングハイブリダイゼーション法”と厳密に使い分けている先生もいらっしゃるようです。反対に、若手研究者の方々は、単に“サザン”などと呼んでいるのではないでしょうか?夜の研究室ではきっと、「最近、サザンした?」とか「サザンがうまくいかないんだよねー」などという会話が交わされているはずです。知らない人が聞いても意味不明ですが。

   さて本題に入ります。

   E. M. Southern博士(以下サザン博士)が最初にサザンブロット法を報告した論文にインターネットで遡ってみました。

  E. M. Southern (1975) Detection of Specific Sequences Among DNA fragments
  Separated by Gel Electrophoresis. J. Mol. Biol. 98: 503-517

   1975年。私がまだ小学校の低学年だった頃です!年表を調べてみると、サザン博士は1938年生まれ。よってこの方法を開発したのは30代の後半に差し掛かった、おそらく一番脂がのっていた頃です。実験も全て単独で行われたのでしょうか、論文にはサザン博士の名前しか見当たりません。

   この論文を少し紹介させていただきます。イントロダクションは、Smith博士らがHaemophilus influenzaeから制限酵素を発見したことの記述から始まります。この頃は、まだ制限酵素は市販されていませんし、ましてや値引きキャンペーンもありません(笑)。マテメソには、Eco RIは自分で培養して精製し、Hae IIIは他の研究室から譲渡してもらったことが記されています。私も、入社時の研修で制限酵素の製造を手伝いましたが、結構大変な作業でした。これを各自やっていたかと思うと、頭の下がる思いです。イントロには続けて、「制限酵素でDNAの特異的な配列を切断するので、様々な遺伝子の構造を解明するのに有用である」ということが記載されています。

   また当時、ニトロセルロース膜に変性したDNAをスポットしておいて、ハイブリダイゼーション実験を行う方法は既に確立されていたようです。いわゆるドットブロット法の原型です。少し調べたところ、膜にスポットしたDNAをRNAプローブで検出する方法が1965年(Gillespie D & Spiegelman S)に、また、DNAプローブで検出する方法が1966年(Denhardt D T)に報告されています。歴史的には、RNAプローブの方が先に使われていたようです。当時のRNAやDNAのラベル法もかなり原始的です。細菌やウイルスを増殖させる培地中に、トリチウムや32Pでラベルされた栄養源を入れておき、生物の機能をそのまま使ってラベルしているようです。ですから、プローブとして使う核酸も自然と限られていたようです。ラベルしたトータル核酸から、プローブを精製しなければならないので当然といえば当然です。よって、ハイブリダイゼーションの研究は、プローブが調製しやすいリボゾームやウイルスの研究が主体だったようです。サザン博士が最初に調べたのもリボゾーム遺伝子の構造です。それはひとえにラベル化されたrRNAが調製しやすかったという理由もあったかも知れません。とにかく当時は、制限酵素処理するにも、プローブをラベルするにもかなりの労力が必要だったことは確かです。

    この論文でのサザン博士の先見性は、“制限酵素処理をしたDNAをアガロースで分離する方法”と、“ドットブロット法の手法”を融合させたことに尽きます。実際、この論文、いかにしてアガロース中のDNAを効率的にニトロセルロース膜にトランスファーするかということが事細かに書かれています。驚いたことに、この論文で紹介された条件は、21世紀になった今日でもかなり部分がそのまま通用します。現在でも、電気泳動後のゲルは1.5M NaCl、0.5M NaOHで変性しますし、その後、20×SSCを用いてゲルからDNA成分をニトロセルロース膜(現在はナイロン膜ですが)へトランスファーします。ハイブリ後の洗浄も2×SSCなどで行います。<ちなみに、ハイブリダイゼーション実験を行ったことのある方ならお馴染みの“SSC”、1965年のドットブロット法の論文には既に登場しています!>

   さらに、この論文には、DNAをニトロセルロース膜にトランスファーする装置(ブロッターの原型)や微量の溶液でハイブリダイゼーション実験を可能にする器具(ハイブリバッグの原型?)まで図入りで登場します。私は一瞬、よく出来た特許の明細書を思い浮かべてしまいました。とにかくこの論文、プロトコールとしてもすばらしい出来です。この完成度の高さがこの手法を世の中に広めるのにプラスに働いたのでないかと思うほどです。 

   サザンブロット法が考案されてなかったら、遺伝子多型や遺伝子構造、遺伝子再構成の解明などはかなり遅れていたに違いありません。とにかく、PCR法が登場するまで、サザンブロット法は花形の技術の一つでした。そういえば、今でもPCRプロダクトをサザン的に解析したりもしますね。ということは、サザンブロット法は、形を変えて未来の技術の中に生き続ける技術なのかも知れません。

   と、ここまで書いて大事なことを忘れていることに気づきました!“サザンブロット法”のネーミングの由来です。この論文には「今後、この方法を以降“サザンブロット法”と呼ぶ」なんてことはどこにも書いてありません。DNAを膜に移し取ることも、単に“トランスファーする”と書いてあります。この方法が、“サザンブロット法”と呼ばれ、若手研究者の間で”サザンする”という新語まで生み出されるきっかけとなった出来事があったはずです。

   ところでこの話、少し長くありませんか?簡単に書き終わると思って書き始めたのですが、すみません。そろそろ、デスクの後ろからも「開発の進み具合は?」という叱責の声が聞こえてきそうです。ということで、この続きは次回とさせていただきます。ドミノはどうやらまだ倒れ始めたばかりのようですし。

 (T.K.)
2007年2月掲載

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