「また、西海岸。の風に吹かれて」 第21回
第21回 分子「泣始巣」学
みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西日本の西海岸地方に住む一地方大学教員です。今回は、分子「泣始巣」学としました。たまたま、手元に「医薬品クライシス」(新潮新書)という新書本があり、医薬品だけではなく、この国の現状そのものが危機ではないかと、そこまで大げさにするつもりはないのですが、連想ゲームで、泣(cryクライ)始(シ)巣(ス)・クライシス/crisisの語呂合わせです。スペルがやや違うのはご勘弁を。毎回、このエッセイの題名をつける際には、オリジナルな造語かどうかを気にして、とりあえず、グーグルだけは検索してみるのですが、「雀始巣(すずめはじめてすくう」という、雀が巣をかまえ始める季節としての七十二候の用語があることを知りましたので、「始巣」という言葉はあったようです。そもそも、恥ずかしながら、七十二候という言葉すら知りませんでしたが、このサイトを見ますと、3月21日〜 25日を指すようです。では、ゴールデンウィークの頃はと見ますと4月30日〜 5月 4日 牡丹華(ぼたんはなさく)となっています。(元々表示していたサイトは、現在では存在しません。ご参考まで、こちらのサイトをご覧ください。)
と、ここまで来れば、強引にでも、読者に多いと思われるバイオ好きな方々に話を合わせましょう。前回も日本語由来の遺伝子AID(たすく)を紹介したばかりですが、3年前の本エッセイの第2回、分子「和独算」学で紹介した面白い日本語由来の遺伝子名に、任侠(にんきょう)映画にちなんだ命名のオス特異的遺伝子「OTOKOGI」「侠」というのがありました。このたび、その対になる、メス特異的遺伝子が発見され、発見者が大ファンだという富司純子(藤純子)主演の映画にちなみHIBOTAN「緋牡丹」と命名されたというニュースがありました。どちらも東京大学のN准教授による成果ですが、今回は奈良女子大も共同研究というところが、男女共同参画がうたわれているなか、なかなか面白い。この先生、いったい、次には、どんな遺伝子を見つけてくれるのか楽しみ。JINGIやANEGOなどというのが、有力候補でしょうか。
話をもとに戻して、今回のタイトルのネタ本「医薬品クライシス〜78兆円市場の激震」という新潮新書を読みました。著者は、有機合成化学者で、医薬品メーカーの研究職を経てサイエンスライターと東大の広報担当の特任助教を兼ねているそうです。2010年前後に世界中の巨大医薬品メーカーのブロックバスター特許が次々と切れるのに後継薬が生まれてこない状況を、医薬品探索研究の内側の現場にいたものならではの内輪話をちりばめながら、軽快に書いており非常に読みやすいものでした。「西海岸」も関連業界に身をおいたことがあるので、共感を覚える箇所も多々ありますし、創薬研究開発のストーリーが概説されているので、たとえば、大学の薬学部にはいったばかりの学生さんが読むのにはよい副読本になると思います。一点だけ、気になったのは、薬の副作用を説明した中で、抗生物質に副作用がないと誤解されかねない記述(93ページ)です。言うまでもなく、ペニシリンショックや、ストレプトマイシン難聴など、薬学を学んだものにとっては教科書的知識なので、一般人の読者には注釈が必要でしょう。折りしも、本書が、科学ジャーナリスト賞2010を受賞したということで、今後も注目を集めて増刷間違いなしでしょうから、その点は補足されるとよいです。
もう数十年も昔になりますが、私の学生時代は、「薬」に関する手軽な啓蒙書というと、たとえば、岩波新書の、もうとっくに絶版になっていますが、その名もずばり「薬」という本がありました。初版が昭和32年(1957年)で、手元にあるのが、昭和48年(1973年)の第18刷ですから、なんと16年以上も売れ続けたロングセラーですね。著者の宮木高明氏は当時千葉大学教授で、1911年生まれですから、ご存命なら白寿ですが1974年に亡くなっておられます。ちょうど私がこの本を買った年です。本は、すべからく、「あとがき」から読む私ですので、この本の「あとがき」の一部を引用してみましょう。「入学試験のころ、さかんに宣伝される頭脳のための薬・・・高校卒業の青年たちが白線浪人といううき目を見ている現実はいかにも当然のように
されてしまったが、実にゆゆしき社会問題であるのだ。こういう頭脳薬の存在は悲壮であり、こっけいであり、そして不快きわまる(1957年1月)」
そして、2010年にあらわれた、「医薬品クライシス」です。同じように、著者の佐藤氏の「おわりに」から引用してみましょう。偶然にも似たような記述があります。「「頭のよくなる薬」というのもあながち夢物語ではない。ある種の向精神薬は、健常者に対しても集中力や記憶力を高める作用を示し、アメリカのエリートビジネスマンや大学生の使用が増えているという。これらは禁止すべきものだろうか?苦労なしに人類の能力を拡大してくれる夢の新薬ではないかと主張された場合、我々は何と答えるべきであろうか?(2010年1月)」
50年を超えても、「頭のよくなる薬」の問題は、そう簡単に解決できるものではないですね。もちろん、永遠の課題の「不老長寿の薬」の話題も、佐藤氏のあとがきには簡単に触れられています。さて、宮木氏のいうところの「白線浪人」という単語、みなさん、おわかりですか? 私は初耳でした。ウィキペディアによると「昔は、旧制高等学校卒業者のうち希望の大学に進学できなかった過年度生を、旧制高校の制帽に白い線が入っていたことにちなんで「白線浪人」といっていた。」のだそうです。今から50年後には、今度は「就活浪人」などという言葉が死語になっていますように。その頃には、クライ(CRY)シスではなく、ワラッテ(SMILE)イキルといきたいものです。そこで、またまた強引に、SMILEという遺伝子はないかと探してみましたら、こういう論文がありました。子供は、なぜか泣きながら生まれますが、生きている間は死なない?ので、後は笑って生きる。もう一度、七十二候に戻ると、3月11日〜 3月15日 は、桃始笑(ももはじめてさく)というそうです。花が咲くのを笑うというのはなんとも風雅な表現でよいものですね。では、また会いましょう。
(西海岸。)
2010年5月掲載
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