「西海岸。の風に吹かれて」 第1回
第1回 分子姓名学物語 <2007年1月>
みなさん,はじめまして。「西海岸。」です。現在,西海岸在住の某大学教員の仮の名前。といっても,アメリカではなく日本の西海岸ですが・・・ このシリーズでは、XX年前に筆者がアメリカ西海岸に在住時見聞した研究のエピソードに始まり,現在の国内西海岸地方大学から見た研究環境の話題を何回かにわけて取り上げる予定です。メールマガジン愛読者には分子生物学者が多いでしょうから,第1回のこのタイトルを見て,分子姓名学??? もしかして分子「生命」学の誤植じゃないの?と思われた方がほとんどじゃないでしょうか。素早くググ(Google)ってみたかたからも,そんな単語ないよーーーと聞こえてきます。そのとおり,これは,筆者の造語ですから,これが(たぶん)本邦初公開。
さて,分子「姓名」学とは何か。これは,ある分子生物学論文のファーストオーサーと,その研究者によりクローン化された遺伝子との不思議な関係の物語です。しばらくお付き合いを願います。
話はヒトゲノムプロジェクトが発足したばかり1990年の頃にさかのぼります。腕利きの遺伝子ハンターが世界中で競い合っていた頃です。ある必要に迫られて,PNAS誌の論文(K. Hayashida et.al; Proc.Natl.Acad.Sci.USA 87,9655-9659, 1990)に目を通していました。この論文は,ヒトGM-CSFというサイトカインレセプターサブユニット(β)のクローニングを報じたもので,意外なことにも別のサイトカインであるマウスのIL-3レセプターのcDNA(N.Itoh, et al: Science 247,324-327, 1990)をプローブとしてクローニングされ,同じ研究グループ(DNAX研究所宮島篤研究室)より発表されたものです。
論文中のヒトの遺伝子とマウスの遺伝子の相同性を示した比較図を眺めているうちに,ふとある一点の配列に目が引き寄せられました。ヒトGM-CSFレセプターβサブユニット遺伝子の543,544番目のアミノ酸がKHであるのに対して,それに対応するマウスIL-3レセプター側の配列(545,546番目に相当します)がNIとなっていたのです。もちろん,両者のアミノ酸配列が,その部分で異なっていたからといって何の不思議もありません。両者はcDNAレベルでは,70%の相同性があり,それゆえにハイブリダイゼーションにより釣り上げることができたのですが,アミノ酸レベルでは56%しか相同性がありませんから。
ここまで読んで鋭い読者ならもうお気づきかもしれません。そう。ヒト遺伝子論文の著者Kazuhiro Hayashida氏のイニシャルKHと,マウス遺伝子論文の著者Naoto Itoh氏のイニシャルNIの対比が,そっくりそのまま,それぞれがクローニングした相同遺伝子のアミノ酸配列対照箇所に現れていたのです。偶然としても,こんな事って,あるのでしょうか? もちろん,この論文中には,この点の指摘は書かれていません。お二人のどちらかは,この事実に気がついていたのか。たとえ,気がついていたとしても科学的には無意味な事ですから,論文中には,書かれることのなかったエピソードです。
私には,双方の遺伝子が,この二人の研究者によって発見されるのを静かに待っていたのではないかと思われてなりません。皆さんは,どう思われますか?このPNASの論文は,インターネットでPDFファイルを無料でアクセスできますので,どうか,ご自分の目で確かめてみてください。こういう現象を「研究?」することを,私は分子「姓名」学と名づけてみたのです。ちょっとトンデモ学問のようで,気がひけますが,ご紹介してみました。それからもう17年,いまや,ゲノムプロジェクトは終了し,今後は,こういう,個人的な思い入れのはいった遺伝子発見のエピソードは見つからないのかもしれません。私の裸眼(ど近眼で乱視入りですが)斜め読みスクリーニングだからこそ見つかったのか。でも,いまどきのバイオインフォマティクスに腕に覚えのある方にかかれば,こんな現象,別に偶然でもなんでもない,いくらでも類例が見つかるといわれるかもしれませんね。
(西海岸。)
2007年1月掲載
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