コーヒーブレイク

「源流を遡る」 第11回

第11回 エレガントな方法  <2008年8月>

   2000年6月26日、クリントン大統領とブレア首相によってヒトゲノムのドラフト配列の解読の完了が宣言されました。クリントン大統領の「本日、私たちは神が生命を創ったときの言葉を知りました」というコメントは、まだ記憶に新しいのではないでしょうか?また当時、公的なゲノム計画と、ショットガン法を駆使した米国企業との熾烈な解読合戦も話題を集めました。また、これらのプロジェクトを機に、大量処理可能なオートシーケンサーが一般にも一気に普及しました。私もそのシーケンサーにかなりお世話になった一人ですが、本当に昔の苦労が嘘のような印象を持ったのを覚えています。

    1980年代後半から1990年代の初頭にかけて、シーケンス実験を行う研究者の一日は、巨大な変性アクリルアミドゲル作りから始まりました。このゲルが曲者で、気泡が入ったりして、何度も作り直した覚えがあります。サンプルのアプライや泳動後のゲルの処理もかなりの器用さを要求されるもので、大変気を使う実験でした。しかし当時は、G、A、T、Cの反応を別々に行って、それぞれの泳動バンドを解析していたので、シーケンシングの原理を直感的に感じることができました。今は便利になりすぎて、原理を全く意識しなくても全く支障はありません。サンプルをセットするだけで、解析が終わると自動的にパソコンにシーケンスのテキストファイルが出来上がっているといった感じです。

   といっても、昔と今でシーケンスの根本的な原理が変化したわけではありません。すべては、1977年に発表された『ダイデオキシ法(Sanger法)』を用いているに過ぎません。

  F. Sanger, S. Nicklen and A.R. Coulson, DNA sequencing with chain-terminating
  inhibitors. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 74: 5463-5467 (1977)

  この方法は、前回ご報告した「プラスマイナス法」に似た方法ですが、より簡便に解析できる点において、優れた方法であると言えます。前回もお話しましたが、この論文が発表された年、Sanger博士は59歳になっています。チャレンジングなこの論文からは、全く歳を感じません。

   この記事は学生さんも読まれていると思いますので、論文の説明をする前に若干基礎知識をおさらいさせてください。DNAやRNAの方向性を表現するのに何故5’末端とか3’末端とかいう表現をするのかはご存知ですね。これらは核酸骨格の一つであるのリボース(デキオシリボース)につけられた番号です。「’ (プライム)」がついているのは、塩基骨格につけられた番号と区別するためです。図にDNA鎖がDNAポリメラーゼによって伸長していくときの反応を模式的に示していますが、3’末端のOH基がdNTPの5’に結合した最初のリン酸基と結合することによって、DNAは伸長します。この様式はRNAも同様です(RNAは完全なるリボースの骨格を持つため、2’の部分もOHになっていますが、このOH基は反応には関わりません)。

   Sanger博士は、3’の位置がOHではなくHになっているdNTP(すなわちddNTP)に着目しました。図を見ていただくと分かると思いますが、このddNTPはDNAの3’末端に結合することはできますが、次の反応に必要なOH基が無いため、反応はここでストップしてしまいます。当時、ddNTPはポリメラーゼの阻害剤として知られていました。Sanger博士は、ポリメラーゼの伸長反応時にddNTPをある割合で混合することによって、特定の塩基でDNAの伸長を様々な場所で止めることができることに着目しました。この反応では、「プラスマイナス法」のマイナス反応(特定のヌクレオチドを除いた条件でポリメラーゼ反応を行う)に似ていますが、連続して出現する塩基の解析が可能であるという利点があります。また、プラスマイナス法では、DNAをある程度伸長させて精製した後にシーケンス反応を行わなくてはなりませんでしたが、ダイデオキシ法では、そのような必要はありません。

   解析方法は、「プラスマイナス法」同様に、伸長時にラジオアイソトープで標識した塩基を取り込ませておき、変性アクリルアミドゲルで分子量に従って分離した後に、X線フィルムを感光させてバンドを検出します。このラダーバンドは、昔シーケンスを行っていた方には大変懐かしいかもしれません。今のシーケンサーでは、ddNTPをそれぞれ別の蛍光色素で標識する方法が使われているので、オリジナル法では4つのチューブで反応するところを1つのチューブで行うことができるように改良され、蛍光リーダーを用いることで測定も自動化されています。また、昔は解析に一本鎖DNAを調製する必要がありましたが、今では耐熱性DNAポリメラーゼを用いるサイクルシーケンス法が用いられるようになったため二本鎖DNAでも直接解析できるようになっています。本当に便利になりました。

   このシーケンス方法がここまで広まったのには訳があるような気がします。おそらく、前回ご紹介したプラスマイナス法では駄目だったのはないかと思います。今回ご紹介した方法は単純な発想に基づいてはいますが、本当に理にかなった方法であり、数学の証明のようなエレガントさを感じます。

   Sanger博士はというと、この功績が認められ、1980年にノーベル化学賞を受賞しています。博士にとってこの賞は、インスリンの構造決定で1958年に受賞して以来2度目の受賞でした。しかし、控えめなSanger博士は、ノーベル賞のメダルなどしまいこんで、ナイトの爵位すら辞退されたそうです。このあたりのエピソードを含め、ゲノムプロジェクトの舞台裏のどたばたについては、「DNA(ジェームス・D・ワトソン著)」に詳しく書かれていますので、是非ご一読ください。

   次回は、1980年にSanger博士と同じく、核酸の塩基配列決定の功績でノーベル化学賞を受賞したもう一人の科学者についてお送りする予定です。

(T.K.)
2008年8月掲載

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