コーヒーブレイク
「昼休みのベンチII」 第19回
『野外へ出よう!』(第19回) <2011年6月>
東日本大震災、津波で多くの犠牲者を出し、福島第二原発崩壊で、多くの避難者を出し、これからの夏の電力需要への対応と連鎖的に、国家的課題に直面しており、今回、あらためて、自然への畏敬と現代科学の未熟さを問われています。そのような中、自然と科学を賛歌するようなエッセイを書くのは、少し後ろめたい気もするのですが、この教訓と経験を活かし、自然と対峙し、科学の発展をより強く願うものです。
その東北でも、桜が咲き、新緑の季節が訪れ、何事も無かったかのように日本の美しい風土に、少しづつ、戻って行きます。日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさん(88)が日本に永住する意思を固め、日本に帰化するニュースは、多くの日本人に感銘を与えました。日本の風土、文化を愛し、知り尽くした老博士ならでは、と敬服いたします。
今回の被災地では、ヘリコプターが総動員され、福島第一原発では、米国製や国産の作業ロボットが活躍しているようです。しかし、最先端を走る日本のロボット技術も、瓦礫の山となった環境では、その働きは十分とは言えません。原発格納器の内外や瓦礫の隙間を自由に飛びまわれるチョウのような飛翔体が欲しいものです。井村忠継 先生(九工大 大学院) もそのような研究者のお一人のようです。自由飛翔および固定飛翔を行う蝶の飛翔観察実験とその画像解析により,蝶自身から見た翅のフラッピング角,リ-ドラグ角およびフェザリング角を算出し,これらの関連性を明らかにして、鳥や昆虫の飛翔メカニズムを解明しようとされています。「羽ばたき飛翔する蝶の翅の運動軌跡 」 日本機械学会年次大会講演論文集 Vol.2008 No.Vol.6 Page.79-80
そんなロボットチョウを思い浮かべながら、今回は、チョウを取り上げました。少年の頃、昆虫採集で真っ先に捕まえたのがチョウで、トンボは中々捕まえるのが難しかったですね。トンボでも、ギンヤンマやオニヤンマを捕まえた者は、羨望の的でした。チョウは、本当に不思議な生物(昆虫)ですね。卵、幼虫(青虫、毛虫、芋虫)、さなぎ、成虫と完全変態を行い、飛行軌跡も方向が読めず、複雑ですが、目標地にはきっちり着地しますし、成虫の口(口吻)はストロー状に細長く、ゼンマイ状に畳まれて、花の蜜や樹液、果汁などを吸うことや、翅は細い体に比べて著しく大きく、カラフルな色彩をしていることなど、謎に満ちています。マニアや研究者が多いのも頷けます。
そのチョウ・マニアの元祖、昆虫学者名和靖が設立した名和昆虫博物館を5月末に訪れました。以前から一度、訪ねてみたかったところです。
博物館は、岐阜城のある金華山の麓の公園内の隅にひっそりとあります。市街地でありながら、この周辺は、ギフチョウが飛び交う森の中を思わせます。
名和昆虫研究所は、明治29年に設立され、その付属施設として1919年(大正8年)に博物館が開館して以来、昆虫全般におよぶ啓蒙普及、農作物の害虫駆除のための啓蒙普及につとめてきた昆虫専門の博物館です。入り口を入るとすぐに鮮やかなチョウの標本に目を奪われました。
モルフォ蝶がもつ美しい体色は、羽の表面や細胞中の緻密な微細構造に光が反射、干渉することで発現する構造色によるものです。色素や顔料を必要としないため環境負荷も低く、さまざまな材料への応用研究が進められています。
そして、この博物館の目玉、ギフチョウの展示です。明治16年名和靖が、郡上郡祖師野村で発見し、新種として命名された。(写真下左)さすがに、展示は、充実しており、その種の微妙な変化の説明もあります。イエローバンドという翅の縁がすべて、黄色になっている種が珍重されているそうです。(写真下右)奥が深いですね。
童謡シリーズ、「ちょうちょ」作詞 野村秋足 作曲 ドイツ民謡。
「ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽(あ)いたら
桜にとまれ 桜の花の 花から花へ とまれよ あそべ あそべよ とまれ」
これは、伊沢修二がアメリカ留学中に音楽教育者メーソンからこの曲を教わり、日本の音楽教育の教材として使うために日本に持ち帰ったものと言われています。明治七年、愛知師範学校校長である伊沢修二が、同校国語教師である野村秋足に命じて『胡蝶』という歌詞を作らせたそうです。そして、明治14年に日本初の音楽教科書「小学唱歌集」に掲載され、今も愛唱され続けています。このチョウは、やはり、モンシロチョウが似合います。桜にチョウが止まるかとの疑問もあるようですが、私は、止まるのを見たことがあります。ただ、鳥もやってくるので、チョウにとって、安全なところとは言えないかもしれません。
チョウの不思議は、まだまだあります。海を渡るチョウや千キロを旅するチョウがいます。北アメリカに分布するオオカバマダラ(Danaus plexippus)は、南北3500kmほどに及ぶ分布域内で、1年のうちに北上と南下を行うことが知られている。ただし南下は1世代で行われるが、北上は3世代から4世代にかけて行われるそうです。旅の間、毎回、同じ木に泊まり、その生物時間と位置決定の正確さには、驚きます。人生(一生)は、旅と心得ているのでしょうか。効率的なエネルギーの活用や精度のよいGPSなど見習わなくてはいけないところが多々あります。一番、見習わなければならないのは、自然への畏敬と調和かも知れません。
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この度の東日本大震災もそうですが、人生一歩先は何が起こるかわからない。生命体、人間もそうですが、いつも、外敵や気象変動のリスクを警戒し、「不安」を少しでも和らげるため、安全な方向を探りながら生きていますし、この先も生きていこうとします。しかし、これまでの努力の積み重ねや出生、経歴とはまったく関係のない「偶有性」という偶然に出くわすこと、または、なぜ、自分でなければならないのか、などと自己の存在に気づくことになります。将に、人生の浮き沈みを体感する訳です。
著者は、まえがきの文章の中で、日本人は今、「不安」を避けて逃亡する巧みさよりも、敢えて不安をもたらしているものの正体を見据え、正面から向き合う愚直な勇気をこそ必要としているのではないか、と憂いている。大震災後、海水を含んだ田畑を、真水で何度も洗い、元の土地に戻そうとしている農家の方々は、その土地から逃げ出さず、それを愚直に実践している姿がそこにはあります。
(昼休みのベンチ)
2011年6月掲載
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