コーヒーブレイク
「再五 西海岸。の風に吹かれて」 第39回
第39回 分子「横断」学 <2013年6月>
みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西日本の西海岸地方に住む一地方大学教員です。
1953年4月25日に、ワトソンとクリックによるノーベル賞受賞の記念碑的ネイチャー論文「DNAの二重らせんモデル」が発表されて今年で60年たちました。研究が行われたイギリスでは干支が使われないので、さすがに「還暦」とは書かれていませんが、記念すべき年ではあるので今年の記念日には新聞記事になっています。
もちろん原論文本家本元の週刊Nature誌の発行も、たまたま、今年は同じ4月25日だったので、小さいコメント記事を載せていましたが、同じ発行元の日本語サイトの目次には、その記事がみつかりません。日本人は、ノーベル賞や記念日というのが大好きなのにもったいない限りです。
そうなって気になりだすと、オペロン説で1965年にノーベル賞をモノーとともに受賞したフランソワーズ ジャコブ の訃報記事も、同日号に載ったのですが、日本版にはカットされています。日本版は、日本人にはもちろん便利ですが、あくまでも情報の入口の一部として認識しておかないと、昨今、雑誌を手に取ることは減っていますから、思わぬところで、情報が欠落してしまいますね。
ところで、ある大学の学長さんによると、「ワトソンは東洋での巳年のことを知っていて、(ヘビの2匹絡まったような)二重らせん構造を思いついたのでは?」との年頭の所感を述べておられましたが、さすがに、「これは飛躍しすぎ」とブログ上ですぐに訂正されていました。ワトソンとノーベル賞争いをした、ライナス・ポーリングのDNAの「三重」らせん説に軍配があがっていたら、ポーリングさんは、この大学の名誉学長になっていたかもという想像も膨らみました。いずれにせよ、手ずからブログを書かれる学長さんには親しみがわきます。もしかして、前回の分子「飛躍」学の読者?と執筆時期の矛盾を無視して勝手に想像させていただいております。
さて、今回のエッセイのタイトルが、分子「横断」学だったことを忘れてはいけません。もう一か月近くも前になってしまいましたが、このエッセイと並んで書かれている「東海岸留学日記」筆者のコンドンさんと、はじめてお会いする機会があり、「東海岸」から「西海岸。」へとはるばると大陸横断ならぬ、太平洋横断をしていただいたことに敬意を表してのタイトルです。もちろん、「西海岸。」には招聘する資力はなく、このエッセイ企画の発案者のBK氏が、現在、某大学におられて「東海岸」氏を講演に招待されたのに馳せ参じた次第です。ついでにといっては叱られますが、「昼休みのベンチ」さん並びに「源流を遡る」のTKさんたちも合流参加して、楽しい会となりました。「西海岸。」にとっては、なんといっても、「昼休み」さんの著書を持参してサインをいただいたのが良い記念となりました。そして、次回のエッセイで本人が触れられると思いますが、米国で活躍中の「東海岸」さんが、ポジションをアップされたのもお祝いすることができました。内輪ネタで恐縮ですが、隣人読者として、この場でもお祝い申し上げます。
話は、また変わって、前回のエッセイで、センターオブイノベーションというのが、一部の?国内大学では話題になっていると書きましたが、少し、様相があきらかになってくると、「一例として」と断り書きがついてはいますが、国のリスクで、たとえば、以下のようなことを解決する(提案には、わざわざソリューションとカタカナになってます)ことが想定されているようです。
・・・手術によることなく、飲む、または貼るだけであらゆる(下線は筆者)疾患を治癒するような効果の高い医療の提供・・・
あえて、一部だけ抜粋するのは、「西海岸。」の曲解であると批難されるかもしれないので、お暇なかたは原文にあたっていただきたいのですが、そのたぐいの研究提案ができれば、9年間にわたって毎年10億円の予算が充てられるそうです。中小大学にとっては、巨費といえる研究費ではありますので、みなさんの知恵の絞りどころではありますが、医薬品業界からみれば、万が一!そんな薬が開発される「保障」があれば、1,000億円出しても惜しくないくらいに、画期的なことではあるのです。
でも、あらゆる疾患を治癒する薬って、プラセボ以外には思いつかないんだけどと頭痛を抱えながら、また分子「横断」学に戻りますと、先日の参加者の中で、筑波大学名誉教授、分子生物学者の村上和雄先生にお世話になったお話が出てきました。私は、まだお会いしたことがないのですが、ふと調べてみると『祈り〜サムシンググレートとの対話〜』という村上和雄氏のドキュメンタリー映画があるそうで、その中で「アメリカ東海岸に住む何百人もの人が、西海岸の病人のために祈る実験を行い、その結果、プラシーボ効果を超えた成果が出たのでした。」というエピソードが紹介されているそうです。このエッセイを書きだした時点では、分子「横断」学は、「西海岸。」の造語であると思っており、村上先生の話題も頭の中になかったのですが、それが筆者の浅学菲才というものなのでしょう。みなさんも、どうかお元気で。
(西海岸。)
2013年6月掲載
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