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「再四 西海岸。の風に吹かれて」 第31回
第31回 分子「再四」学 <2012年1月>
みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西日本の西海岸地方に住む一地方大学教員です。
年があらたまりましたので、タイトルナンバーを再三から再四に昇格させました。いつもは、掲載前月末までには原稿書くようにしているのですが、今回は諸般の事情で間に合わず、お正月恒例の箱根駅伝をテレビ観戦してから、やおらパソコンにむかっています。東洋大学の「山登りの神」柏原君たちの活躍で、往路復路とも完全制覇したのは、名前の似ている「東洋」紡としても、喜ばしいことでしょう。大きなお年玉になりましたね。たまたまですが、新聞には、五木寛之の「下山の思想」(幻冬舎)という新刊広告が出ていました。本エッセイのタイトルも五木寛之の名エッセイ「風に吹かれて」シリーズ(角川文庫)から借用しているので、いつも気になる作家です。登りがあれば下りがあるのが世の常。年賀状には昇り龍の図柄も多かったですが、足元を踏みしめてゆっくりと下る人生も悪くないものです。
お年玉といえば、一万円札の顔、福沢諭吉に遭遇しても、すぐお別れする機会でもありますが、平成23年の師走、西に東に奔走中のある日、福沢諭吉ゆかりの地に出会いました。大阪大学中之島センターというところに出張があり、昼食がてら外出しましたら、「福沢諭吉誕生の地」の碑が、堂島川の対岸にあることを知り、せっかくなので、立ち寄りました。碑をみて気がついたのは、偶然ながら、その日が12月12日で福沢諭吉の旧暦(天保5年(1834))上の誕生日だったことです。ちょうどお昼休みの時間帯でしたが、隣接のABC朝日放送本社からも、徒歩圏内の日本銀行大阪支店からも、誰も来る気配はありません。花も持ち合わせませんが、誕生日のお祝いに来たのは、私だけですよと、碑に向かって心でつぶやき、仕事に戻りました。東洋紡の本社ビルも訪れたことはないですが、すぐ近所に見えました。
さて、福沢諭吉とバイオは、あまり関係もなさそうですが、東京大学医科学研究所(医科研)の前身である「伝染病研究所」は福沢諭吉が私財を投じて設立した研究所だそうです。そういう目でみれば、年末に身内が重症敗血症で緊急入院し、無事退院後に、主治医からこの病気は死亡率40%の危機でしたと言われたので、縁起かつぎとしては、それが碑を訪ねたことの、ご利益だったと思わないといけないのかもしれません。
その週には、横浜での分子生物学会大会の後半のみ参加し、東洋紡ブースでのアンケートの抽選で、2等賞の景品などもらってしまい恐縮でした。福引や宝くじは当たりませんが学会や展示会会場での抽選にはよく当たるほうで、これまでも他社ブースでも液晶テレビ、コーヒーメーカー、ビジネスバッグなどなどもらっています。学会賞などには縁のない研究者もどきに対する見えざるバランス配分でしょうか。学会大会長は、学生時代の恩師でしたので、盛会お祝いのご挨拶をしたのが学会参加の昼の主目的で、夜は、旧知の研究者数名と居酒屋で四方山談義。企業から大学教員への転進組と昨今の大学は企業よりもお金稼ぎに汲々としてしまって研究テーマの自由度が狭まっている話題や、次の週の朝日新聞で取り上げられた鳥インフルエンザ論文の公表の可否の話題も出ました。そのうち、どういう話の流れか覚えてませんが、目黒の寄生虫博物館の話題になり、翌日、医科研に立ち寄る前に時間がとれて初めて見学してみました。目黒駅から徒歩圏内の2階建ての小さな博物館ですが、国や自治体の助成も受けずに無料での開館を続けていることに驚きます。展示のガラスケースの高さが小中学生くらいの目線にあわせて低く設置されているのが、印象に残りました。大きな寄付もできませんが、パンフレットを購入しわずかな募金を置いて白金の医科研にも歩いて向かいました。
同所では、昨年6月29日に亡くなった上代淑人東京大学名誉教授を偲ぶ記念講演会が開かれたのです。私にとっては、生前の上代先生にお会いしたのは、本エッセイの連載5回目で言及したKornberg教授講演会の4年前が最後でした。私は、研究上は直接の弟子ではないのですが、21年前にカリフォルニア西海岸の留学先でお会いした時に、先生は東京大学定年退官直後でDNAX研究所に滞在中で、帰国時に家具小物のムービングセールを行った際に、アイロンを買っていただいたというエピソードがあります。こんな大先生が、ご自分でアイロンかけをされるのだと、驚いたものですが、今回、新井賢一先生が、生化学誌(Vol.83 No.12 2011)に寄稿された追悼文を読んで、上代先生がその数年前に奥様を亡くされていたことを知りました。ご冥福をお祈りします。その後の懇談会では、多くの上代先生ゆかりの方々に会いましたが、なかでも医科研の北村俊雄教授に久しぶりに会って、このエッセイの連載第1回で紹介した私のささやかな発見(NI/KH類似性)が、該論文のセカンドオーサーだった北村教授も気づいていなかったことが確認できたことはちょっと楽しいエピソードでした。北村先生が、日本の免疫学者中心に結成されたロックバンド Negative Selection! でドラムを叩いている動画サイトを教えてもらったのには、やや度肝を抜かれましたが。同じ会場で、Kornberg教授の最後の著書Germ Storiesの翻訳者宮島郁子先生(連載第10回)にもお会いしできたのに、サイン用の訳書を持参してなかったのは、残念でした。
今年は、皆様方にとって、よい年になりますように。
(西海岸。)
2012年1月掲載
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