コーヒーブレイク
「再三 西海岸。の風に吹かれて」 第27回
第27回 分子「想停」学 <2011年5月>
みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西日本の西海岸地方に住む一地方大学教員です。東日本大震災から2ヶ月が過ぎましたが、いまだに、原子力発電所からの災害は収束のめどがたたず、心配な日々が続きます。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
今回、未曾有の大災害に襲われたということで、「想定外」という言葉が飛び交いましたが、こと、「原子力発電」の事故とその後の対応の混乱に関しては、事故発生の可能性を、私を含めて多くの方々が「真剣に想像すること」を「停止」していた、「想像停止」縮めて「想停」が、大きく災いをもたらしているように思えます。自戒の念をこめて、今回のタイトルを分子「想停」学とします。まず、最初に、数行、ある文章を、引用してみます。
「原子力利用の長い道のりは、目前の目的のためにあせればあせるほど、ますます遠い見果てぬ夢となっていく。原子力はまだ人類の味方でなく、恐ろしい敵なのである。日本の諸所方々に建設され、さらに計画されている大型の原子力発電所が何をもたらすだろうか。さらに世界の原子力発電所が人類に何をもたらすだろうか。われわれは無関心でいるわけにはいかないのである。」
まるで、今朝の新聞の社説やコラムに書かれていても、そんなに違和感を抱かないであろうこの文章は、今から35年前1976年に「原子力発電」という題で発行された岩波新書(青版955)の編者の武谷三男氏の「序にかえて」という前書きの冒頭の書き出しです。私の手元にあるのは、1976年2月20日発行の初版で、2月23日に購入と鉛筆書きのメモが残っています。1979年に起こったスリーマイル島の原子力発電所事故の3年前、1986年のチェルノブイリ事故の起こる10年も前のことですが、原子力発電の危険性を、物理学者の立場で正確に伝えており、振り返ってみれば、一種、預言書の役割を果たしています。編者の武谷氏は、1911年生まれで、2000年にお亡くなりになってますが、今年は生誕100年となります。今問題になっている福島原発の1号機が運転開始したのが、1971年(昭和46年)3月と40年も前です。その後、外国でどんな事故が起こっても、日本では大丈夫と「安全神話」をコメントしてきたテレビでよく見かける「専門家」の先生方も、決して危険性を想像する能力が欠如していたわけではないのでしょうが、「何らかの事情で」危険性を想像の範囲外に追いやる力のほうが上回っていたことになります。
私の専門は、原子力でも工学でもありませんが、1970年代当時の大学生として、毎月刊行される岩波新書のうち、何冊かを手に取り、「積読になるものも含め」買い求めることは、普通のことでした。この新書に今でも挟まったまま残っている紙の「しおり」には、近刊として、「試験管のなかの生命」岡田節人(ときんど)著(岩波新書)が紹介されていました。書棚を探したら、1976年3月30日発行の初版が残っていました。こちらのほうは、ちょうど培養細胞を用いての卒業研究を始めるころでしたので、より専門に近いものです。そして、自分でも読んだことを忘れていたのですが、書棚には、武谷三男氏の「安全性の考え方」という1967年発行(1973年8刷)の岩波新書もあり、その第13章「安全性の哲学」に、以下の文章を見つけました。
「大量の原子力発電が行われた場合の恐ろしさは想像に絶する。利潤や採算ほど勝手なものはない。国民の楽しい健全な生活を犠牲に供し、尻ぬぐいは国民の税金で行うのだから、こうして危険を警告するものを一笑に付したり、悪者扱いにして、あとは知らぬ顔である。」
こちらの文章が書かれたのは、45年も前のことであります。
これらの本を読んでいたころの前だったか後だったか、記憶がはっきりしないのですが、大学で同級の友人と数人で、運転開始初期の福島原発の「見学」に行ったことがあります。当時は、学生紛争は、ほぼ終焉していましたが、反原水爆と反原発運動は、ほぼ一体に近い形で動いており、見学した際も、今、思い起こすと、学生特有の血気で、見学の案内をしてくれた東京電力の社員に対して、おそらく、「本当に安全なの?」というたぐいの不躾な質問をして、あわや建物から追い出されそうになった淡い、苦い記憶が残っています。
福島原発の事故に関して、テレビで見たり新聞で読む、さまざまな情報を一般人としてどう解釈すればよいのかという指針に関して、私は、テレビでも時たま見かける武田邦彦という学者の言動に注目しています。バラエティー番組にも出演しているので、その場合はタレント教授の発言として、割り引いて聞いていますが、彼が連日のように書いているブログには、父親の立場で自分と自分の家族をどう守るのかの信条と信念をもとに、福島県の子どもたちを守るために必要な、一番、正直なことが書かれていると思っています。それは畢竟、すべての子どもを守ることにつながるでしょう。読者の方には、もちろん、それぞれの判断があるでしょうが、ぜひ、読んでみて、それぞれに判断してもらえればと思います。
チェルノブイリの事故のちょうど1年後1987年には、広瀬隆というジャーナリストが、「危険な話―チェルノブイリと日本の運命」(八月書館)という本を出し、結構センセーショナルな話題を呼びました。そこには、「今まで日本で(原子力発電所の)大事故が起こらなかったのは、全く偶然のなかの偶然です。私たちは、たまたま生きているにすぎないのです。その断崖のふちに、私たち日本人が立っています。原子力の専門家など信じてはいけませんよ。私たちが命を託すほど優秀でも誠実でもない。」と書かれています。当時は、あまりに煽動的な本であるという評価もあったでしょうが、今、読み返してみると、その見通しのブレのなさに驚きます。
私の座右の銘(迷?)に、「事実は小説より奇なり。想像することはすべて起こりうる。そして、想像もしないことが起こるからこそ、人生は楽しい。」というものがあります。今回起こっている不幸な出来事の連鎖は、決して楽しいことではないので、不謹慎な言い回しかもしれませんが、それでも、楽しい、想像もできない未来を作るために、せめて、個人の自由で想像できることには、精一杯想像力を働かせたい。想像ばっかりは、停止したり、間違っても自粛したりせずに、それこそ、「想停」外の未来を待ち望みたいものです。皆さん、お元気で、次回、また会いましょう。
(西海岸。)
2011年5月掲載
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