コーヒーブレイク
「また、西海岸。の風に吹かれて」 第23回
第23回 分子「保命」学 <2010年9月>
みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西日本の西海岸地方に住む一地方大学教員です。暑い夏がいつ終わるのか、めどが立たない8月末に原稿を書いています。戸籍上は、200歳の人まで見つかったそうです。政府をあげてライフイノベーションとグリーンイノベーションの重点政策を掲げていますが、皮肉にもバイオの力を借りずとも、万人が追い求める不老不死の世界のうち、「不死」といわずとも「長」ならぬ「超」寿命を保つ「保命」の方策が見つかった夏として記録されるのでしょうか? 現代版「姥捨て山」などと言われますが、行方知らずの方々は、龍宮城で面白く楽しく暮らしているものと想像したいのですが、戻る前に、玉手箱を開けられてしまったようなものでしょう。死んでいないことにすればよい。死んでいても見なかったことにすればよいというのは、自分で自分の目と耳をふさぐということです。家族だけでなく、お役所も、この無作為に協力して、見なかった知らなかったことにしてくれていたのですから、これは、ダブルブラインドの世界となります。
ダブルブラインドというと、医薬品の開発では、ヒトを被験者とした臨床試験で必ず組み込まれる試験方法で、医薬品候補化合物を投与される被験者と、それを投与する医療関係者の双方が、投与される検体が、実薬なのか偽薬(あるいは対照薬)なのかをわからないようにして試験する方法です。両者ともに目隠しをした状態という意味でダブルブラインドテスト(二重盲験試験法)という訳です。教科書的には、色も形など見かけも同じだが有効成分を含まない錠剤を偽薬(プラセボ)として用いて、などと書かれますが、実際には、被験者自身が、どちらを投与されているのかわからない場合もあれば、「なんとなく」わかってしまう場合もあります。たとえば、健康成人に初めて投与する臨床第一相試験で実薬を投与されたヒトが、カプセルで投与されたので味はわからないはずが、胸やけを起こして胃液が逆流して、あまりに苦みを感じて実薬と「察して」しまうなどということがあります。「良薬?口に苦し」の実例です。
本来、試験デザイン上は味も匂いもあわせた製剤を用いるはずですが、錠剤の外層の糖衣コーティングでごまかしても、中味まで同じ「苦み」の対照薬を揃えて合わせるのは至難の業でしょう。そもそも、ヒトに「初めて」投与するのが臨床第一相試験なのですから、どの程度の苦みがあるのか前もって調べるのは、自己矛盾が生じます。有機合成化学者が、実験室で「ちょっと」舐めてみてしまったというのは、別としてです。
さて、最近、「ホメオパシー」療法に対して日本学術会議が効果を否定したという新聞記事がありました。「ホメオパシー」というのは、ある種の物質を「限りなく」たとえば、100の30乗くらいに水で薄めて砂糖粒に浸みこませて呑むと様々な病気に効果があるという民間療法で、元の物質が分子レベルで検出されなくても水には物質の「パターン」が記憶されているので有効、ということらしいのですが、この原理は「科学的には」理解不能です。「ホメ」は「保命」と語感が似ているのは偶然ですが、こじつければ、「非分子」あるいは「無分子」保命学といえるでしょうか。この場合の薬効を同じようにダブルブラインド法で調べるとするならば、少なくとも被験者には、匂いや味では、どちらかばれる可能性はないでしょうから、それなりに、厳密な試験はできそうです。
ホメオパシーを含む、いわゆる「代替医療」の評価については、「代替医療のトリック」(新潮社)という本を読んでみましたが、かなり冷静な筆致で、公平性を保つように書かれているように思います。著者の一人のサイモン・シンは素粒子物理学で学位をとった有名な科学ジャーナリストで、共著者は物理学で博士号を取った後で、世界初の代替医療学の大学教授になった人だそうで、その経歴だけから見ると、代替医療を擁護しそうな気もしますが、そうでもないようです。むしろ、本の中で繰り返し力説されていますが、評価のカギとなっているのはランダム化された二重盲験試験法で、多くの代替医療療法の中で、その関門をくぐり抜けて実証されているものは、極めて少ないというのが、全体を通じてのメッセージです。
本書中でもエピソードとされていますが、1988年の「ネーチャー」に「きわめて低濃度のIgE抗血清により、好塩基球の脱顆粒が引き起こされる」という、「ホメオパシー」に科学的根拠を与えるかのような論文が掲載された際には、「あの」ネーチャーが!ということで、一騒動ありました。私も当時論文が出た際の周囲の研究者などの驚きの反応を思い出しました。結果的には、その後、ネーチャー編集長とマジシャンを含む調査団による現地フランスでの立ち会い実験で、責任著者が実験を行っておらず、テクニシャンによる実験結果の解析もブラインド化されていずにバイアスがかかっていることが判明し、他の研究室でも追試で確認されず、その結果は否定されたのです。いったん掲載されてから、コケにされたようなものですから、日本人だったらホメ殺しに遭ったというところでしょうか。
偽薬でも効く場合が実際には多々あり、通常は自然治癒力で説明されますが、このことをまさにプラセボ効果というわけです。先の本の中でも、興味深かった例は、鍼(はり)治療の効果を調べる際に、本物の鍼と偽鍼の使用を、如何に被験者に悟られないようにするかという工夫でしたが、本物の鍼でも偽鍼でも、同等の効果があったそうです。鍼を使わない場合よりは鎮痛効果はあるそうで、鍼の効果はプラセボ効果とされています。ただし、この場合は、治療者はどちらを使うかわかるのでダブルブラインドテストは困難です。
ホメオパシーに関して否定的な記事を載せる新聞も、その一方では、健康食品、サプリメントや様々な民間療法を紹介する出版物の広告が氾濫しています。「病気を治す」と書いてしまうと薬事法にひっかかるので、利用者の個人的な感想の範囲にとどまっていますが、著名なタレントさんがにこやかな笑顔で「私には効きました」「**にお悩みの方へお勧めします」と書かれると、「自分にも効くような気がする」「何々さんと同じように効いてほしい」というのが、人情というものでしょう。ただ、それが極端に走ると、バランスのよい食事の代わりにサプリメント類を山ほど「食べ」たほうが、健康になれるという錯覚に陥いる危険があるわけで、さきほどの日本学術会議の見解も、代替医療に依存しすぎて現代医療を否定してしまうと、危険な場合があるという警告になっています。
かくいう私も、朝食には野菜ジュースを飲むだけで、野菜を取ったつもりと自分に言い聞かせ、せめて血圧のために、無塩のものを選ぶという程度で、その点、あまり変わりはないのですが。ともかく酷暑を乗り切ることができましたら、また会いましょう。
(西海岸。)
2010年9月掲載
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