「西海岸。の昭和!実験奮闘記」(続西海岸。の風に吹かれて) 第12回

第12回 分子「耳順」学  <2008年11月>

  みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西海岸在住の某大学教員の仮の名前。といっても、アメリカ西海岸に住んだのは、はるか昔の事で、現在は日本の西海岸ですが・・・。 

   さて、今回は分子「耳順」学です。恥ずかしながら小生、先日ある新聞の投書欄に、この単語が出てきた際に、意味はおろか読み方もわからず、辞書を繰って、ようやく、(じじゅん)と読み、論語の「六十にして耳順(したが)う」に由来し、「思慮分別がつき他人の言うことをすなおに理解して聞けるようになる」意と知りました。そうか、まだ「西海岸。」は、その年にはまだ少しだけ早いから、思慮分別がなくても至極当然と納得。

   という訳で、今回は、時事ネタならぬ「ジジゅん」ねたで、耳順=六十をキーワードにしましょう。昨年、敬愛する故アーサー・コーンバーグ教授の最後の来日となった東京大学安田講堂講演を聴講した話をしましたが、今度は、DNAの二重らせん構造の解明であまりにも高名なワトソン博士が、10月22日に同じ安田講堂で講演すると聞き、平日にも関わらず、先約のあった所用を「耳順」の同僚に肩代わりをお願いしてさっそく出かけてきました。これも、普段から、同僚の「海外遠征」時は、私が国内雑用を引き受けているおかげです。

 ワトソン氏が長く所長を務め、その構内に居も構えていたコールドスプリングハーバー研究所は、私が若い頃初めての海外での研究発表に訪れ、数日過ごした研究所でしたが、引き続きNIH、プリンストン大学、スタンフォード大学等も訪問し、現地の空気を吸っただけで、翌年、米国 西海岸に留学する決意が出来た原点と言えます。KYという空疎な流行語は下火になりましたが、空気はやはり読むものでなく、吸うものだと思うのです。今日はワトソン氏と同じ空気が吸える訳です。

  本郷に着きますと、ジャーナリストの立花隆氏の企画も効を奏してか、定員1,000名の会場はほぼ満員。以前、人種差別発言で物議をかもしたこともあるワトソン氏のことですから、主催者側は安全を期したのでしょうか、事前予約のうえ、入場に身分証明書の提示も必要という厳重チェックでしたが、せっかくの機会なのでと、DNAとRNAの区別もおぼつかない文系大学生の息子も予約ないままに急遽呼び出して、私の隣席に潜り込ませました。潜入のノウハウは、ちょっと控えますが、最近再読した佐々淳行氏の「東大落城 安田講堂攻防七十二時間」に学ぶまでもなかったです。ワトソン氏にはボディガードらしき人もみかけなかったので、隙あらばサインねだるべく、学生時代に卒業研究仲間と輪講で熟読した氏の著書Molecular Biology of the Gene の原書第二版(1970年発行)を持参しましたが、ちょっとそばに寄りそびれたのは残念。講演で、彼は、世界中の分子生物学入門者必読のこの本の印税で薄給!のハーバード大学教授の二倍は稼げて助かったとのこと。その後、あまりの大著になってしまい、第4版から共著者に加わっていたのが、ワトソンのハーバード大学時代の教え子で、今回同時に来日講演されたスタイツ教授(女性だというのを知らなかった)でした。

  聴講予約は、一般人、学生、研究者とそれぞれ定員を設けて募っただけあってか、その多様性は、駆け出しのミステリー作家、還暦の放送大学学生、大学図書館秘書、(元?)高校教師、子育て中の大学院生、小児科医兼大学院生など多彩なことがブログ検索で伺えるし、もちろん、見知った東大教員の顔も何人かちらほらと。

  ワトソンの実際の講演タイトルは、プログラムで予告された「Personal Overview of My Life up through Sequencing My Genome」ではなく、「Science in Ten Ways over 60 Years(1948-2008)」となっていました。確かに後者のタイトルでは一般人は呼べない。この変更は、演者紹介した自然科学研究機構長の志村令郎氏も把握していなかったようだが、ともかく、1928年生まれで今年80歳のワトソン博士は、19歳の飛び級でシカゴ大学を卒業し、22歳で博士号を取っているのだから、まさに、成人とともに研究者となって60年であり、分子「耳順」研究者の資格十分です。とはいえ、若い研究者向けに(人の言われるように生きるのではなく、自分の受け入れられる意見だけうまく取り入れるようになどと薦めた)研究者処世術十か条を示したといえる講演内容を踏まえれば、研究者には耳順う性格はそぐわないかも。ついでながら、同時に講演されたスタイツ博士も年齢書くのは不粋ですが、学位取得後41年ということですから、推定60歳台で、同様に年齢では「耳順」資格疑いなし。

    詳しい講演内容については、当日のうちに、ある大学院生が、ブログを立ち上げ、講演速記メモ風にレポートしよくまとめているので、ぜひ、そちらを参照してもらうとして、講演の中で、研究者は、どうしても他に用事があるならともかく、日曜も仕事するようでなければ、しかし、一方、若い人は夏休みには、一ヶ月(欧米は卒業シーズンですから動きやすいのですが、日本人は無理だろうから、せめて二週間でもと割り引いていましたが)くらいは研究室の外に出てみるようにとの薦めがありました。「西海岸。」など、今や日曜は、この原稿を書くくらいしか手を動かさないので、前者はともかく、後者は、その通りだと思います。ドイツで働いていた時、部下の若いテクニシャンが平気で5週間連続(法律で6週間取れる)の有休を取っていましたからまさに風土の違いもあるのですが、その気になれば、その埋め合わせはいくらでもできるものです。

  そんなこと言っても、この日本、日曜に働く研究室がなくて苦労されているのは身近に見聞きし、実際、「西海岸。」の所属組織でも、「博士研究員」と称してはいるが実質的に研究はできず、必ずしも待遇もよくないポストに20代から60代!まで20人以上も応募があったようです。

 一方、海外に出るのにも躊躇する方が多いようですし、また、「海外に出ても学ぶものはない、研究レベルも設備も日本は一流」と言って、自分の研究室のポスドクに留め置く先生がいたり、大学全入どころか、奨学金大盤振る舞いやら授業料ディスカウントやら果てには通勤電車にまで勧誘広告を出して各大学大学院生争奪戦になっているようですが、本当に優秀な研究室で「国際的に」一流の研究環境を備えれば、世界中から研究者は呼べる「はず」でしょうし、その先生自身が日本にこだわらずに海外に研究室を持つでしょう。ともあれ、先生のいうことを素直に聞くのは、「耳順」の年になってからでも遅くないかもしれません。

  ワトソン博士の講演の10日ほど前に、「西海岸。」の大学院時代の恩師の3回忌を前にして門下生が数十人集まりました。あっという間に、「昭和」時代に同じ研究室で「実験」三昧だった日々が蘇ってきます。恩師の時は、教授の定年が60歳で、まさに、その大学が決めた定めに「耳順って」いたのですね。皆が、先生の思い出を語る中で、研究テーマの押し付けもなく、放任といえば放任、特に細かい指導を受けた覚えはないが、そのおおらかな人格と品格に触れたことが一番の教育だったということで一致しました。わが身を振り返って、とても、同じことを次代に伝える格もないが、せめて「最高のもの」を常に見つめていくことは続けていきたいものです。それがたとえ、ノーベル賞学者の講演追っかけミーハーであっても。今年、ノーベル化学賞受賞の下村氏に会うのはちょっと無理かもしれないが、ウッズホール海洋生物学研究所は訪れたことがあり、同じ空気を吸ったことがあることにしましょう。物理学賞の南部氏も出身校の先輩ということらしいので、なんとか、ご存命中に拝顔の機会ができないものかと。

   なお、ワトソン博士は、講演最後の質疑応答の中で、また、その後のNHKで放映されたインタビューでも、息子さんが統合失調症だとお話しされ、公開されている自分自身のゲノム遺伝子情報が、役に立つことを願っていました。続く24日の岡崎での講演のタイトルは「統合失調症と自閉症の遺伝学研究」になっていましたから、そちらでは、もっと専門的な話に重点がおかれたのかもしれません。「西海岸。」は、脳科学には門外漢ですが、近々、自閉症の大学生を持つ母親研究者のセミナーを聞きに行く予定です。文化の日に(西海岸。)でした。

(西海岸。)
2008年11月掲載

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