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「西海岸。の昭和!実験奮闘記」(続西海岸。の風に吹かれて) 第7回

第7回 分子「リセット」学  <2008年1月>

 みなさん、明けましておめでとうございます。「西海岸。」です。西海岸在住の某大学教員の仮の名前。といっても、アメリカではなく日本の西海岸ですが・・・。 という書き出しで「西海岸。の風に吹かれて」シリーズを始めてから1年たちました。分子「姓名」学分子「和独算」学分子「徘徊」学分子「華族」学分子「ポストドッグ」学そして分子「盛花」学と続けてきましたが、今回からタイトルを、本欄担当氏からのリクエストもあり、「リセット」して「昭和!実験奮闘記」と変えてみました。

  平成も20年目に突入しましたから、大学1,2年生から研究室に出入りを始めて、このメルマガを目にしている早熟な研究者の卵には平成生まれが出てきてもおかしくない。そうなると「昭和!」時代の実験室風景など懐古臭ふんぷんのレトロ以外の何者でもない。たまに教授や准教授など父親母親のような年代の教員から昔話を聞かされたら、「そんなの○○なーい!」かもしれない。でも、何かのヒントにでもなればと勝手な思い込みで。

  「昭和」といっても、今映画などでブームの昭和30年代には、「西海岸。」もまだ子供だったし、Kornbergのような親がいた訳ではない(第4回分子「華族」学参照)ので、「実験室」の記憶はない。しかし卒論研究からおそるおそる研究室に顔を出し始めた「昭和50年代」は、PCRが生まれる前夜。制限酵素も、市販品はほとんどなく、お隣の研究室で「買うと100万円分は精製したぞ」と自慢していたのをもらったりしていた。初期のパソコンは出始めていたが、ノート、論文など、まだまだ手書き。「西海岸。」の処女投稿論文は研究室秘書さんにIBMの電動タイプライタで清書してもらったが、100ページほどの博士論文は全文和文の手書き、おかげで、今みたいにワープロ依存で漢字書けなくなることはなかった。「東海岸」NY留学中の先輩との情報交換はすべてエアメール。携帯電話なんてもちろんない。E-メールを使い出したのは、昭和も末期だが、それでも回りを見渡すとバイオ系では早かったほう。ある年、分子生物学会に、ゲノムプロジェクトにコンピュータネットワークは有用なんてドライラボ的なことを要旨に書いて出したら、わざわざプログラム編成委員から電話がかかってきて、「そんなの研究じゃねえ」ともう少しで不採択になるところだったことも、文部省在外研究員でベンチャー関係の研究所に行こうとしたら、「実用化指向研究は税金では支援できない」と官僚に拒否されたのも、どれも「たった」20年ほど前の情景。そんな頃の話を次回以降、少しずつ綴ると、まずは、予告編。

  さて、タイムスリップから元に戻って、年の瀬も迫った平成19年のクリスマス12月25日、いまやノーベル賞候補に躍り出て、文部科学省に再生医療「実現」に100億円つぎ込む決断をさせた京都大学再生医科学研究所山中伸弥教授のヒト万能細胞「iPS細胞」の特別講演が京都駅近くのホテルで開かれた。ビデオ中継含め約1,000人の聴衆を集めたという、その異様な熱気あふれる会場に野次馬的歴史の目撃者たらんとする小生もいた。この先進的な学問的成果自体は、これまでもこれからも多くのメディア、科学誌が当分の間取り上げ続けるであろうから、ここであえて触れるまでもない。

  しかし、私は、山中氏が今後作り上げたいと強調していた「インターアクティブな研究環境」に関して、大いに共感し同意するので、ここで触れておく。彼は、通常の大学研究室のように教授(研究室主宰者)がそれぞれ、別々に実験室を持ち、学生もそれぞれ隔離されたスタイルではなく、複数のボスの元で、学生ポスドクが混在するスタイルの研究グループを構成したいと提案していた。これは、まさに、私が前回、分子「盛花」学で紹介した「Arthur Kornbergの方針の下、Stanford大学の生化学科は、異なった研究室間でも実験室を共有し、ポスドクもみな混在して仕事をする方針」と同じコンセプトである。山中氏はサンフランシスコでポスドク生活を送り、現在も同地に小さなラボを持ち毎月数日は過ごすということであり、そこでの快適かつ相互刺激的な研究環境を日本でも実現したいということである。私が1年弱過ごしたやはりサンフランシスコ近郊「西海岸」の研究所もKornbergによる同じ方針で、同じ実験室にボスが違うポスドクが一緒にはいっていたので、その意義と効果はよく理解できる。そういえば、学生時代、同じ研究室仲間とはいえ、京都での学会発表時に、修学旅行生が泊まるような旅館にみな雑魚寝で合宿さながら泊まっていた。山中研は駅伝に出たり(比喩的にiPSの競争に関しては、海外の大チームに比して、駅伝を一人で走っているようなものと喫緊の課題としてのオールジャパンチーム結成を訴えていましたが)、柔道やラグビーの心得もある体育会系の先生とお見受けしたので、「合宿効果」が身についておられるのであろう。

 今年はネズミ年、こじつけてしまえば十二支というのもリセットかけて繰り返すものだし、還暦だって同じこと。iPSのリプログラミングにあやかり、年頭にあたり、心機一転、研究者としての原点に立ち返り、振り返りながら、あと12ヶ月ならびに12年を見据えていきたいものです。

  最後になりましたが(Last but not least!)、前回紹介したとおり、Arthur Kornbergの遺作となったGerm Storiesという絵本は11月30日に届きました。その本の内容紹介をすると予告していましたが、そのうち紹介します。そうそう、山中氏講演と同じ日、12月25日発行の「湯川秀樹日記:朝日新聞社」を発行5日前に編者の小沼通二氏から直接サイン入りで購入しました。さすがに湯川秀樹氏本人のサインではないとはいえ、「ノーベル賞受賞者関連サイン本」のコレクションがまた一冊増えました。

(西海岸。)
2008年1月掲載

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