「昼休みのベンチII」 第14回

『野外へ出よう!』(第14回)  <2010年8月>

  宇宙航空研究開発機構の探査機「はやぶさ」が2003年5月に打ち上げられた。そう言えばそんな話があったっ け、と国民の意識から消えかかっていた時、地球から3億キロメートル離れた、小惑星「イトカワ」に軟着陸し、そして再び、地球までの長い旅から帰ってきました。忠犬のようにご主人の言いつけを守り、暗黒の宇宙の中、7年間の孤独な旅から帰ってきました。といっても、本体自らは、大気圏突入とともに、流れ星のごとく、最後の輝きを放ち、 消えていったのです。そして、任務完遂のメッセージを込めた証(カプセル)を、オーストラリア南部ウーメラ付近の砂漠に置きました。ロマンがありますね。

JAXAサイト
http://www.jaxa.jp/projects/sat/muses_c/index_j.html
http://www.isas.jaxa.jp/missions/spacecraft/past/hayabusa.html

  おかげで、日本人は、わが国の科学技術の高さと誇りと、日本らしい宇宙開発の取り組みを再認識することが出来ました。また、多くの国民が、この「はやぶさ」を愛おしいという生物に対するような感情移入を行いました。なぜでしょうか。宇宙という大きなロマンあふれる舞台で、大気圏突入による消滅(死)であり、自己判断により軌道修正(忠誠)であり、宇宙センターとの通信(対話)という要素が揃ったからと思います。生物である条件、3つの要素、①自己複製、②自律的行動、③自己と非自己を区別、のうち、②の自律的行動がそこには存在したようです。困ったことに、現代社会には、「指示待ち人間」という自律的行動が出来ない生物も増殖中のようです。

 とにかく、事業仕分けで、一旦、中止となった「はやぶさ」の後継機の計画が、再び、進んでいるようで、よかったと思います。

 この「はやぶさ」帰還の話から、ユリの花粉がめしべに受粉し、花粉管となり、めしべの内部を胚珠に向かって伸びていく様子を連想しました。途中でのエネルギーを受け取りながら、24時間ぐらいで、花粉管細胞が、自律的に、柱頭から10cmもある目的地(胚珠)に向かって進み、やがて、胚珠に到達します。トウモロコシにいたっては20〜30cmも花粉管が伸び、胚珠に間違いなく到達するとのことです。夏の風物詩の1つユリの花の中で、このような活動が行われているのですね。

  1869年、フランスのヴァンティーゲムは「花粉管が培地上で胚珠に向かう」と提唱しました。それ以来、多くの植物学者が胚珠に由来する花粉管誘引物質の探索に挑戦してきました。しかし、これまで、真の誘引物質と呼べるものを同定した人はいませんでした。

   2009年 名古屋大学大学院理学研究科東山哲也教授は、130年ぶりに、ついにその花粉管を誘引する2種類のたんぱく質の同定に成功しました。魚がルアー(疑似餌)を追うように、花粉管がこの蛋白質に誘引されるため、これを、ルアー(LURE1・LURE2)と命名されました。Nature 458, 357-361(2009)

  東山教授らは、「トレニア」ゴマノハグサ科という卵の部分が母体組織から突き出るユニークな植物を使うことで、この大発見を成功させました。「トレニア」Torenia fournieri、は、下の写真のような花で、一年草で、別名を「夏スミレ」や「花瓜草」と言い、涼しげな花ですね。この花が、科学の進展に寄与した訳です。

  ユリの話に戻ります。ササユリ(ユリ科ユリ属の球根植物)をご存知ですか。葉っぱが笹の葉に似ていることから名付けられました。昔、山で見たユリは、おそらく、このササユリだったと思います。野生種は、日本固有で、学名も、Lilium japonicumで、まさに、日本のユリです。ところが、近年、林業が廃れ、里山が荒れ始めるのと歩調を合わせるように、自生地が徐々に減ってきているようです。イノシシがエサの減少で、球根を掘って食べてしまうことが原因ではないかと言われています。人工的な栽培が難しく、自生株や球根を許可なしに取ることを禁じる条例を県で制定するほどです。村おこしで、ササユリ祭りとかササユリの里など、西日本の各地で、自生種の保護育成を図る活動が行われるようになりました。

 また、このササユリの新品種を、10年ほど前から、大阪府池田市の府立園芸高校バイオサイエンス科の学生が開発し、品種登録を目指しているとのことです。(ユリは現在79品種が登録)

 政府の科学技術基本政策の基本方針の中の2大イノベーションの推進(グリーン・イノベーション、ライフ・イノベーション)の1つグリーン・イノベーションの予算の中からこうした研究にも少しは光を当てて頂ければと願います。

***  お薦め書籍  ***

 『無縁所の中世
   伊藤正敏 著 ちくま書房 2010.5

  武士が台頭する前の平安時代は、少なくとも表面的には軍事力に頼らず、どのような抑止力で国家の統治が行われていたか、に興味を持っています。現代は抑止力=軍事力です。律令制度を基本としながらも、豪族や寺院、神社の勢力も強大になり、荘園制度へ移行し、地方は、これらの力の微妙なバランスで統治されていた と思われます。中央では、藤原氏の摂関政治、地方では、中央官僚が国司として、赴任し、私腹を肥やした。国司は、数年の任期で、自前の武力をもってはいなかったので、その権力は、地方の有力者の利権との協力関係によるものだったと思います。律令制度の浸透で、地方の日本人の中に、中央政権(天皇制)に対する畏敬の心 がすでにあり、統治の抑止力になっていたと思われます。

  この「無縁所の中世」では、裏社会として大きな武力勢力であった寺院を取り上げている。中央政権から追放された世捨て人の駆け込みを「慈悲の心」で受け入れ、僧兵の勢力を拡大し、中央政権に対し「怨念、たたり」と流布して、貴族に動揺を与え、その横暴に対抗したようです。「源氏物語」、「枕草子」、「古今和歌集」 など、日本人特有の感情や感覚を表現する日本文化の源流となる国風文化を生んだ時代と、理不尽な横暴がまかり通った暗黒の時代が同居しています。その社会の流れは、今も変わっていないのかも知れません。  

(昼休みのベンチ)
2010年8月掲載

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