「昼休みのベンチII」 第2回

『野外へ出よう!』(第2回)  <2008年6月>

 前回紹介しましたミノムシを探していたら、下の写真(左)の野蚕(ヤママユ)らしきものを見つけました。繭のような風合いで、表面に糸を見ることが出来ます。ずいぶん、干乾びていますが、しっかりと、また、精巧に作られていますね。通常、6月頃に繭をつくり、8,9月頃に蛾になりますので、これは、昨年以前の抜け殻と思います。その右の写真は、標本です。

  先日、東京の展示会で、蚕の研究者と立ち話ですが、話す機会がありました。「江戸時代から、蚕の卵は、保存が出来、いつでも、孵化させて、育てることが出来るのです。」えっ、冷蔵庫も凍結乾燥機もなかった時代から、そんな技術があったとは、驚きでした。蚕は中胚葉形成が始まる少し前に休眠するので、養蚕業ではこれを利用し、卵で冬を越させ、桑の葉を一齢幼虫が食べるのに最適となる頃に、人工的に、秘伝の方法で、孵化させてきましたとのことです。江戸時代からの秘伝とは、・・・。むー 仕方がありません、秘伝を調べました。お教えしましょう。休眠中の卵を低温(5℃ぐらい)で、保存しておいたものを、50℃弱ぐらいの塩酸水溶液(比重1.1)に数分漬けるというものです。これでは、卵も堪りません。すっかり目を覚まし、孵化して、逃げ出さなくてはと思うのでしょう。桑の葉が年に一度しか取れなかったことで、桑の葉の収穫に合わせて、孵化を調整させる知恵(技術)はすばらしいものですね。この「蚕の休眠」の研究、休眠ホルモンの研究も進んでいます。現代の秘伝?は、特許「昆虫の休眠卵誘導剤およびその休眠卵産出方法」特開2002-68916のペプチドに見ることが出来ます。

  ところで、現在、インド、ベトナム、タイなどの生糸生産国では、年中、桑が栽培でき、蚕も、休眠しない品種を使っているとのこと、これでは、日本の養蚕業は、成立しませんね。もっとも、休眠しない品種では、いつも、蚕を育てていなければならない大変さがあります。

  休眠といえば、「コガタルリハムシ」(光沢のある黒色で、やや細長い体型のハムシ)は6月〜4月という10ヶ月もの長い期間を土中にもぐって休眠する昆虫とのことです、デカンショ節の半年寝て暮らす、を超えて実践しているようです。温度・湿度が高くカビや細菌が活発なこの時期になぜ休眠するのでしょうか? 休眠中のコガタルリハムシの体内で「休眠特異ペプチド」が合成されることを鈴木幸一教授(岩手大学農)らは発見し、この「休眠特異ペプチド」がカビの生長を抑える働きと、神経を遮断する働きを持つことを解明しました。しかし、そんなことまでして、この温暖な季節に土の中で、寝ているとは、どんな目的があるのでしょうか。確かに、起きていても世間は、世知辛いことばかりですがね。 

   また、同鈴木教授らは、日本原産の蛾「山繭」からは、ヤママリンという休眠物質を発見しておられます。従来のガン治療は病原を攻撃するものが中心でしたが、これらの物質を活用してガン細胞を「眠らせる」「鎮痛する」ことができれば、副作用の心配もなく病気と付き合うことができます。「ガン細胞が眠る」とは、いい発想です。日本の昆虫工学も期待したいですね。

 さて、その蚕は、孵化してから18日間ほどで4回脱皮して、5齢期(熟蚕)となり、6から7日間桑の葉を食べ続け、糞や尿を済ませてから、繭の作製にかかるとのことです。自分の繭の中を汚さない清潔癖を持っていますね。厳粛な儀式に臨むようです。

 『シルクの科学
   シルクサイエンス研究会 朝倉書店

 そして、カイコ蛾になって、死ぬまで、たった、2ヶ月間の寿命とのことです。昆虫は、概して、命が短いですね。子供たちやマニアの中では、カブトムシの大きさを競っているようですが、1年の寿命で、越冬できないようです。クワガタは、越冬できるので、2,3年の寿命とのことです。子供たちの間で、「ムシキング」のゲームやおもちゃが人気とのこと、自然との触れ合いがあり、良い面もあるのですが、ゲームの勝ち負けの道具や特定の虫だけを大切にするのはどうかと思います。また、極端に、虫を怖がる若者も増えてきているようです。自然や生物との対話が出来ないのも、困りものです。四季の豊かな日本、昆虫たちも、その変化を受け止めて、精一杯、生きているのです。

   子供のころ、母が、ふとんの打ち直しするのを手伝ったものです。家で一番広い八畳座敷にふとんの布を敷き、その上に打ち直した綿(昔は、弾力を失ったふとん綿を業者に出し、元の弾力ある形に戻してもらい、リサイクルしていた。今でもあるのかな。)を広げ、敷き詰めたあと、その表面に真綿を引き伸ばして、被せ、内綿が片寄り、崩れないようにする作業です。二人が反対側から両手で、真綿を引き伸ばす作業になり、どうしても手伝いが要ります。真綿の感触は、すべすべしていて、いくらでも引き伸ばせ、光沢があり、どうみても、綿には見えず、そんな種類の高級な綿があるのだなと、今まで、思っていました。最近、真綿とは、蚕糸ことであることを知り、やっと合点が行きました。この齢になって、教えて頂きました。でも、「真綿」という名前をつけた人に責任がありますよね。

   次回も、どんな自然に出会うか楽しみにしてください。

***  お薦め書籍  ***

 『収容所(ラーゲリ)から来た遺書
   辺見 じゅん  文春文庫

  文庫本になったのを見つけ、改めて、読んでみた。「戦後」という言葉が聞かれなくなって久しいけれど、団塊世代以前の世代は、無意識に、この言葉とともに人生を歩んで来たと思う。司馬遼太郎は、その源流を明治に求め、「坂の上の雲」を書き、大江健三郎や三島由紀夫は、「遅れて生まれてきた世代」を悩み、野坂昭如や小田実は、空襲の体験から自らの生き方を決定付けた。また、画家では、すべての肉親を失った東山魁夷が房総半島の鹿野山で描いた「残照」は、その後の道を決めた。ドンゴロス画材に描く宮崎進は、いまも、シベリヤ抑留が原点となり、活動している。そこには、国家と個人の関わりを否応無しに、考えさせられた時代と人生があった。現在は、国家と個人の関わりは、求めなければ、それで、すんでしまうのか、そんなことを、思いながら、また、昔、見た「人間の条件」(監督小林正樹 原作五味川純平  出演仲代達也/新珠三千代)の映画のシーンを思い浮かべながら、この本を読んだ。

  シベリヤの収容所で病と闘いながら書いた山本幡男の子供たちに書いた遺書、「さて、君たちは、之から人生の荒波と闘って生きていくのだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化―人道主義を以て世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。・・・」我々は、この意志をどれだけ、引き継ぎ、伝えていくことが、出来ているだろうか。

(昼休みのベンチ)
2008年6月掲載

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