「再三 西海岸。の風に吹かれて」 第26回

第26回 分子「透蛙」学  <2011年4月>

  みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西日本の西海岸地方に住む一地方大学教員です。

  このたびの東日本大震災で被災された皆さま、ご家族、関係者の方々に心よりお見舞い申し上げます。今回の地震は東北、関東一円の大学、企業等の研究機関に甚大な損害を与え、各種学会も中止となり、また計画停電・節電等も重なり、研究活動のみならず日常活動にも、さぞやご苦労なされていることと思います。「西海岸。」のところでは、研究室には被害はなく、遠いところから、何のご支援もできずに心苦しく思っております。以下の原稿は、3月号のために2月末に書いてあったもので、書き出しは、今、読むと何か予感らしきものがありますが、そのまま、3.11以前の記録として残すことをお許しいただき、本文はこの際だからこそ、少しでも明るい、透明な話題としてお読みいただければありがたいです。(記:2011.4.8)

  この冬から春にかけて、例年にない大雪、火山灰、スギ花粉と降りかかったり、飛んで来るものが絶えないようで、どうも世の中すっきりせずにもやもやとしておりますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

  そういう時に、新聞で目にした、「透明なカエル スケルピョン量産」という、一服の清涼感も感じさせる記事に注目しました。(元の記事は現在は表示されません。スケルピョンについては こちらのサイトをご参照ください。)

  このカエル、広島大学の先生が、遺伝子組み換えではなく、交配を繰り返して作り上げたそうですが、内臓や血管が透けて見えるカエルで、ネーミングが、骨格の「スケルトン」と「透ける」をかけて「ピョン」とトンデルところも、なかなか絶妙で、科学教材や実験動物としての利用価値は多そうです。「スケルピョン」の作成法自体は、数年前に特許出願や学会発表もされており、繁殖能力に

課題があったようですが、今回は、量産に成功したことでニュースになったようです。哺乳類や、果ては人間ではどうだろうかと、SFの透明人間の世界に思いは飛びますが、新聞記者さんも、そこは押さえてあり、新聞記事の最後は、「哺乳類は皮膚の構造が両生類や魚類とは基本的に違うため、「スケルマウス」や「スケルラット」を誕生させることはできないという。」と慎重に締めくくられています。もちろん、同じ手法を適用することは、そう簡単ではないことはわかりますが、「大腸菌にあてはまることは、ゾウにもあてはまる(ノーベル賞受賞分子生物学者----ジャック・モノー)」とばかりに遺伝子操作の対象にした場合には、どうなるでしょうか? 

  ということで、今回は、分子「透蛙」学と名づけてみました。とはいえ、蛙は、見たり触ったり、フランス料理や中華料理として食したことはあっても、研究したことはないので、「透蛙」学を、どう読めばよいのかも自分でもわかりません。にわか勉強ならぬ、にわか検索してみたら、「蛙学」は、「アガク」と読むそうなので、とりあえず、「トウアガク」と読むことにしましょう。そもそも、なぜ、「アガク」と読むのかまで調べてませんが、蛙なんだから、水中で、「足掻く」とでも覚えておきましょう。ちなみに、Skeletonの語源は、ギリシャ語の「乾いたもの」の意だそうですから、水中から陸にあがろうともがいた両棲類進化の執念を、スケルピョンも確かに受け継いでいるのでしょう。

  すでに、実験用の魚類では、「透明メダカ」や「透明ゼブラフィッシュ」が知られていますし、水族館に行けば、種々の透明なサカナが展示されていることは皆さんもご覧になったことがあるでしょう。私の大好きな「西海岸」カリフォルニア州モントレー水族館にも、頭部が透明な深海魚が紹介されているそうです。

   見えないものを見たいというのは、人間の好奇心のなせるわざで、レントゲンによるⅩ線の発見が第一回ノーベル物理学賞に輝き、人類が多大の恩恵に与っているのも納得ですね。ただ、毎年、検診で必ずお世話になるレントゲンは少量とはいえ被曝の問題を抱えていますし、被曝しない胃カメラ撮影なども、まだまだ苦痛を伴います。採血だけでも血管の浮き出にくい人は苦労しています。遺伝的改変による「透明人間」作成などは、もとより倫理的問題をはらむでしょうが、検診時だけ、一時的に、皮膚だけでも透明化をできるような手法を、遺伝子発現コントロールなどで解決する野心的研究に取り組んでみようとする方はいないでしょうか?

   その名もずばり、「「透明人間」の作り方」という本も出ていますが、紹介を読むかぎりでは、外から「見えないようにする」ことが主眼のようで、「内臓を透けて見せる」目的とは違うようです。

   おそらく、「透き通るような肌」を目指している化粧品会社が、こういうことに近い立場にいるでしょうが、医療関係にはリスクを伴うといってなかなか手が出せないのでしょう。こういうことこそ、ベンチャー企業の出番なのでしょうか。

  ベンチャー企業といえば、最近目にした、「SUPERサイエンス 新薬開発の舞台裏」(C&R研究所)という本に、アメリカでは一介のベンチャー企業にすぎなかったAm社が、いかにして、日本では最大規模のTa社をしのぐ規模の巨大製薬会社(メガファーマ)になったかの「裏話」が書かれていて興味深く読みました。著者の「星 作男」さんは、まるでスターを生み出す男を意味するようなペンネームのような名前ですが、私の知る限りでは本名です。ペンネームならば、「薬 作男」にしたかもしれませんから。彼は、薬学修士を経て、1984年、医薬品開発の経験のないビール会社Ki社に入社、当時、1ヶ月前に調印されたばかりのAm社とのジョイントベンチャーKi-Am社とともに、たった5年の間で成功したEPO(エリスロポイエチン)の研究開発に関与した様が記されています。なにせ、Am社の1980年設立当初の社長室は、おんぼろのキャンピングカーだったのが25年後には世界3位の売り上げを示す大型医薬品を筆頭に種々のバイオ医薬の開発に成功し、日本一の製薬会社を抜く規模に成長したというのですから、まさに、ガレージから生まれたマイクロソフトのように、アメリカンドリームを体現した訳です。

  一方のKi社の医薬事業は、やはり他の酒造メーカーKy社と合併して、Ky-Ki社として、現在は抗体医薬開発などに注力しているようですが、著者の星氏は、たった5年での開発成功の達成感と表裏一体の虚脱感を感じ退社、医学部に入り直して、現在は医師として活躍中とのことです。なお、ここに上げた各社名は、あえてイニシャルにするまでもなく、著者も著書の自己紹介でも本文中の他の箇所でも、社名を明記していますし、皆さんもよくご存知の会社でしょう。そもそも、Am社の初代社長は、アメリカ大手の製薬会社Ab社から独立したので、最初は、Ta社はじめ日本中の製薬会社に共同開発の声をかけていたそうです。その話に乗らなかったTa社は1985年にはAb社と合弁でTa-Ab-P社を設立していましたから、もし、Am社と組んでいたら、この本は生まれなかったかもしれませんし業界地図もずいぶんと様変わりしていたでしょう。

  ところで、この本の出版社C社は、本書を目にするまで知らなかった会社ですが、まさに、日本の「西海岸」に本社があり、ユニークな経営方針を持っているようで、注目しています。そもそも、「スケルピョン」の新聞記事と、この本とは何の関係もないですが、Ki社が、Am社によるEPOのクローニングの情報を得たのも、特別の情報網を張り巡らせていた訳でなく、たまたま本社の社員が読んでいた新聞記事からだったというのですから、きっかけというのは、どこにころがっているのかもわかりません。犬も歩けば棒に当たるといいますし、もう少し暖かくなれば、海岸沿いを歩いて、何か拾ってみたいものです。

(西海岸。)
2011年4月掲載

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