「続々:西海岸。の風に吹かれて」 第16回

第16回 分子「賞Q」学  <2009年7月>

  みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西海岸というとアメリカと思いがちですが、陽光輝くカリフォルニアにて一時過ごしたのは、はるか昔のことで、現在は日本の西海岸在住の某大学教員のペンネームです・・・。 

 さて、分子「**」学のシリーズで続けてきたエッセイですが、今回は分子「賞Q」学です。「ショウキュウ」と読んでもらえれば。Qといえば、話題になっているのは、言うまでもなく、「1Q84(いちきゅうはちよん)」でしょう。「西海岸。」の近所の書店では、いまだに入荷待ちのようで、平積みのスペースやベストセラーコーナーでは、2冊分のスペースが、ぽっかりと空いています。しかし、ここでは、この小説の話題には触れません。今年になって分子自伝学や、分子散歩学で「研究人生の回想」本を紹介してきましたが、今回は、分子生物学者にとっては、真打、巨匠と言ってよいジェームス・D・ワトソン(著)DNAのワトソン先生、大いに語る日経BP社(2009年4月20日発行)の紹介。原題は、Avoid Boring People: Lessons from a Life in Science となっており、直訳すれば、「人々を退屈させるな:科学者人生から得た教訓」となりますが、邦訳書名でなかったら著者名に気づかず見過ごしてしまったかもしれません。発行日から一ヶ月たっても書店から消えずに、手にとってみることができました。一般的なベストセラーにはならないでしょうが、科学を志す人には、ぜひ拾い読みだけでもお勧めしたい本です。

  ワトソン先生の教訓に習って、読者の皆さんが、退屈する前に、「賞Q」の種あかしを先にしておきましょう。DNAの二重らせん構造の発見によって1962年度のノーベル生理学・医学賞を受賞したワトソン博士ですが、本書によると、当時教授職にあったハーバード大学から、受賞翌年の「昇給」(しょうきゅう)がなかったそうなのです。これでは、「賞給」どころか、「消給」ですよね。それがQuestionだと書いてある訳ではないのですが、その前までは毎年1,000ドルづつ昇給していたにも関わらずです。年俸1,000ドルの昇給といっても今の為替レートからは少ないような気もしますが、当時の彼の年俸が15,000ドルだったそうですから、6%アップは妥当なものだったのでしょう。昇給はなくても、特別ボーナスくらいはあっただろうというオチがあるわけでもありません。読者のみなさんだって、昨今、お勤めの人はご自身が、学生さんはご家族が、昇給どころか、ボーナスも大幅減あるいはカットという例がめずらしくもないでしょう。私が、小ずるい経営者だったら「ノーベル賞受賞者だって!」「実力主義のアメリカだって」の引用に使って顰蹙を買うところですが、当時のハーバード大学学長は、どういう言い訳をして、ワトソン教授は、それにどう対応したかは、本書を読んでいただきましょう。

  という具合に、本書の帯カバー(業界用語でいう腰巻)には、「ノーベル賞受賞のワトソン博士が赤裸々に語る自叙伝的エッセイ」とあるように「二重らせん」に続く、新たな自伝です。訳者によると、同氏の自伝は、もうひとつ「ぼくとガモフと遺伝情報」があるそうですが、「西海岸。」は未読で、大学生時代に「二重らせん」を読んで以来となります。本書は400ページを超す大著で「語る」となっているものの、決して、座談会あるいはインタビューを行って「語り下ろし」てテープ起こしをしたようなものではなく、彼が中心となって作り上げてきた「分子生物学草創期」の科学史として後世に残る第一級の史料としても読むこともできます。

  ワトソン博士は高校を飛び級して15歳でシカゴ大学に入ったため、タイピングを身に付けることが出来ず、文章はぐちゃぐちゃな走り書きになってしまうと告白しています。それで、あの古典的な教科書の「遺伝子の分子生物学」を、どうやって執筆したのだろうと不思議に思ってしまいますが、かくいう我々だって、ほんの20年ほど前までは、日本語で書く原稿や学会要旨などはほとんど手書きだったのです。それはともかく、ワトソン博士が入学したときのシカゴ大学の学長は44歳。しかも学長になったのは30歳だからこそ、飛び級の学生にも入学許可を与える当時として革命的な方針を打ち立てることができたことが、早熟のワトソンを受け入れる前提としてあったようです。巻末にあげられている主要な登場人物は80名ですが、索引には200人以上の同世代の科学者が挙げられており、興味のある科学者が、どういう風に登場するのかという観点で見るのも、また一興。ただし、日本人は野村眞康博士しか登場しません。いずれにせよ、詳細なエピソード満載で80歳を超した著者の記憶力には驚愕するばかりです。

 ワトソン博士は、昨年秋に東京大学安田講堂で講演を行い、そのことは、第12回の分子耳順学でも紹介しました。当日の講演タイトルが「Science in Ten Ways over 60 Years(1948-2008)」となっており、若い研究者向けに(人の言われるように生きるのではなく、自分の受け入れられる意見だけうまく取り入れるようになどと薦めた)研究者処世術十か条を示した。などと紹介しましたが、本書では、それらを含めて、忘れられない教訓として15章にわたって総計で108か条が記されています。当時機会を逸した方にも、本書は、有益です。108といえば除夜の鐘を思い出す煩悩の数ですが、ワトソンさんが、それを意識していたはずではないですし、偶然の一致でしょうが、日本人受けする数値です。日本人の訳者さんも、8ページにおよぶ詳細な訳者あとがきを記していますが、そこまでは言及していないので、「西海岸。」のささやかな発見として一人悦に入っております。
ワトソンによる二重らせん構造の発見は、20世紀最大のハイリスクハイリターンの発見のようにも思えますが、彼が子供時代に身につけたという第三の教訓「自分の命を危険に曝すような挑戦には応じるな」は、なかなか意味深なものです。「三メートル以上の高さから落ちる危険を冒してまで、高いところに登る価値があるとは、わたしには絶対に思えなかった。」と書いてあります。うーん、彼にとっては、彼の生涯追及した最高級のサイエンスは、すべて身の丈にあったものだったのか。それこそ天才の天才たるゆえんか。

  1+0+8=9=Qということで、最後は、問いかけで終わります。数字遊びのお好きな方は、第2回「分子和独算学」も再読願います。また、お会いしましょう。

(西海岸。)
2009年7月掲載

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