「続々:西海岸。の風に吹かれて」 第13回

第13回 分子「自伝」学  <2009年1月>

 みなさん、こんにちは。「西海岸。」です。西海岸というとアメリカと思いがちですが、陽光輝くカリフォルニアにて一時過ごしたのは、はるか昔の事で、現在は日本の西海岸在住の某大学教員のペンネームです・・・。 

   さて、分子「**」学のシリーズで続けてきたこのエッセイですが、今回は分子「自伝」学です。この「分子自伝学」とは、グーグルでチェックする限りでは、新語のつもりです。2008年末に、「ヒトゲノムを解読した男−クレイグ・ベンター自伝(化学同人)の邦訳が出版されました。クレイグ・ベンターとは、ベンチャー企業「セレーラ」社を率いて、公的ゲノムプロジェクトを敵に回して、ヒトゲノム解読競争をくり広げた男です。ベンター氏ご本人には、10年ほど前にドイツで開かれたある学会で「セレーラ」社設立のアナウンス直後のセミナーで見たことがありました。原書は、A  LIFE  DECODED My Genome:My Lifeというタイトルで、2007年9月に彼自身のゲノム全塩基配列がインターネットに公開された直後に出版されていますが、原書と連動しているウェブサイトを見るとわかるように、邦訳と原書の本人のカバー写真は別のものが使われており、「西海岸。」的には、嵐の空を背景に暗雲たれこめる大海原をヨットを操り航海する姿を髣髴とさせる原書版が好みです。今年、カリフォルニア大学サンディエゴ学校構内に、「ウェストコースト・ベンター研究所」を開設するそうですから、「西海岸。」ネタそのものとしておきましょう。

 前回の分子「耳順」学では、ジェームス・ワトソン来日の話題に触れましたが、本書はそのワトソンとの対抗意識や確執も赤裸々に語る異色の自伝です。500ページ強の大冊で正月休暇の間に読もうと思いつつ、まだ通読していません。しかし、どのページを拾い読みしても、あまりにも破天荒な人生が語られていて引き込まれます。まず、本書の随所に囲み記事として、彼自身が読み込んだご自身の遺伝子配列上の特徴と、彼の人生の軌跡が重ねあわされています。一方、ワトソン博士の遺伝子配列もすでに別途インターネット公開されており、ご両人は、昨年11月、ワトソンが長年所長を勤めていたコールドスプリングハーバー研究所から「二重らせんメダル」を共同受賞しています両者の言動には、毀誉褒貶(きよほうへん)があるにせよ、今後、ゲノム解読でノーベル賞が与えられるならば、こちらの共同受賞も間違いのないところでしょう。また、ゲノム解読プロジェクトの一方の当事者が、解読の経緯とともに分子レベルで自己を語るという意味では、本書は間違いなく分子「自伝」学の古典となるでしょう。

 ベンターとワトソンとの関係でいうと、ベトナム戦争からの退役後通った短大での読書感想文の課題で読んだ「二重らせん」に始まる最初の出会い?から、ワトソンに、cDNAの解読に使うEST(Expressed sequence tag)法の特許申請に関連し、「ベンターの自動解読装置などサルでも動かせる」と批判されたのに対し、その15年後に自分の遺伝子配列中にチンパンジーのゲノムが存在していることを明らかにして、ワトソンを預言者と皮肉るなど、10年前だったらたとえSFとしても非科学的と批判されたであろう「事実は小説より奇なり」を地でいくエピソードや、自身は注意欠陥・多動性障害(ADHD)に関連する配列を持ち、「生物学界の悪童、悪たれ、ひいては悪魔とさえ呼ばれてきたが、ストレスへの耐性をもたらすモノアミン酸化酵素(MAO)の活性度を高める遺伝子を持っているので耐えられる」と受け流すなど、個人情報の最たるものをたんたんと記述しており、驚かされます。血液型人生学の本がやすやすとベストセラーとなるわが国では、こういった遺伝子と性格の問題を持ち出すのは、誤解曲解を生むことが多々あるでしょうが、学者が、変人であっても少しもおかしくないのは、日本生まれのノーベル賞受賞者のエピソードからも再認識されるところであり、今後の生物学教育の副読本のひとつとして紹介されていくことでしょう。

 ゲノム解析に対して日本人の貢献は、国際的にはあまり評価されていませんが、本書の中でEST法のアイデアは、1990年、ベンターが日本で岡山バーグ法の岡山博人教授と、当時、大阪大学で日本のゲノム研究のリーダーだった松原謙一教授に会った帰りの太平洋上空でひらめいたというのも、なかなか意味深な話題です。巻末に、人名、遺伝子名、会社名などを含む、詳細な索引がつけられており、ゲノムプロジェクトに少しでも関わった科学者が、彼の目から見てどう評価されているか、あるいは無視されているかもみてとることもできます。

 ところで、本書の翻訳者は、野中香方子さんという方で、珍しいお名前ですが、「きょうこ」と読むそうです。ペンネームでしょうか。この手の本は、医学系の研究者が翻訳したり監訳したりする例が多いですが、専門用語や術語が多いのに、正確にていねいに読みやすく訳されており、やはり専門の翻訳家のお仕事はさすがだと思いました。彼女の訳書を目にしたのは、今回が初めてですが、今後は、この方の訳した本を少し注目していきたいものです。ノーベル賞受賞者(および受賞想定者)の著者のサイン本集めがささやかな趣味の「西海岸。」ですが、以前、分子「奔躍」学を提唱した身としては、今後は、訳者さんのサインにもターゲットを少し広げてみましょうか。

(西海岸。)
2009年1月掲載

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