「アメリカ東海岸留学日記」 第14回


 

> 2009年 7月 1日  「Thesis Defense」

   春は博士号の論文発表会(Thesis defense)がたくさんあります。卒業式自体は5月に終了していますが、9月の新学期までに博士号を取得すれば、次の学年に移るための手続きが必要なくなります。つまり大学院生を雇っている教授側も、新たな授業料を支払ったり、書類手続きを行う必要がありません。そのため、多くの大学院生は、8月一杯ぎりぎりまで大学院に滞在し、9月の新学期までにdefenseすることが多いようです。その場合、卒業式だけは翌年の5月に参加することになります。サイエンスは、期限通りに結果がでることが少ないので、フレキシブルに予定が組めるアメリカの制度は現実的で良いと私は思います。

   今日、私のラボでも大学院生がThesis defenseを行い、見事、博士号(Ph.D.)を取得しました。学位を取得する条件は大学や分野にもよりますが、私のいるデパートメントでは、特に決まった本数の論文が必要条件ではなく、内容により決まるようです。というと楽そうですが、結局のところ数本以上の論文を投稿できる内容で卒業する人が多いようです。学位申請までの過程に、committee meetingというものがあります。これは、定期的に自分の教授(supervisor)とcommitteeと呼ばれる学内の教授4人の前で研究の進捗状況を発表するミーテイングです。このcommittee meetingにおける発表が学位を申請するに足ると認められると、学位論文を書くGOサインが出て、defenseの日程を組むことになります。
 

   defenseの日の2週間前には論文を書き上げ、審査員に提出する必要があります。審査員には、上記のcommittee meetingのメンバーの他に、outside readerと呼ばれる学外から招いた教授が加わります。この学外からの招聘教授は、defenseする院生の研究分野に精通していることが通常です。Supervisor以外の専門家の意見を取り入れたいということなのでしょう。Defenseの当日は、これらの審査員と一般聴衆の前で、ドクター論文の発表を1時間ほど行います。ここでは、プレゼンテーション能力と、一般聴衆からの質問に答える能力を問われます。この公開発表には、しばしば発表者の家族や友人も聴衆として参加します。今回defenseした大学院生は一児の母であるため、彼女の夫や子供も聴衆として参加していました。また、発表の最後に述べる謝辞(Acknowledgement)では、教授やラボメンバーへの謝辞の他に、家族への感謝の気持ちを、特別にスライドを割いて述べていました。こちらでは、家族や友人への謝辞に時間を割くのは通常のようです。学位論文発表会は、その人の人生の晴れ舞台でもあるので、家族とその喜びを分かち合うことは当然と考えられているのでしょう。
 

   この公開発表が終わるとすぐに、そのまま審査(exam)に入ります。審査は、committee メンバーを中心に、教授達からの質問攻めで行われます。知識の幅を審査されるわけです。通常、1〜2時間程度に渡り行われます。この審査をパスすると、その場で学位申請の書類手続きに入り、Dr.○○の誕生となるわけです!

   私のラボでは、院生が審査にパスすることを見込んで、彼女の審査の間にお祝いパーティーの準備を始めました。デパートメント中にも予めメールを回しておき、その院生にゆかりの人々を招きます。食べ物や飲み物は教授やラボのメンバーで用意しました。教授が、彼女のdefenseを祝して祝いの言葉を投げ、乾杯となります。その場に参加できなかった彼女にゆかりのある人達からは、電報代わりのメールをもらい、教授がそれらを読み上げました。さながら結婚式の様相です。夕方までパーティーが続いた後、その夜は彼女の家族が開くパーティーに呼ばれることになりました。お祝いのケーキや、バルーンも用意されて、大きなセレブレーションとなりました。
 

   日本ではご存知のように、博士後期課程の3年生はだいたい決まった時期、2〜3月に一斉に学位審査を受けます。そして、そのあとすぐに卒業式となります。そのため、少なくとも私の周りでは、一人一人の学位取得をここまで丁寧に祝うことはありませんでした。あるいはアメリカでは日本と比べて、学位の取得はもっと大きな意味を持つということなのかもしれません。

  審査が卒業式とは関係ないタイミングで行われるので、多くの人はdefenseしたからといって、次の日からラボに来なくなるわけではありません。今回defenseした院生の場合は、学位取得後も次の就職先に移るまで、ポスドクとして半年間ラボに残ることになりました。その間に、まだ未投稿の論文を仕上げるともに、新しいラボに移ってからのプロジェクトのパイロット実験を始めることができます。私の場合は、日本からアメリカへの大移動のため、卒業式のだいぶ前に全ての実験を終えなければなりませんでした。そのため、学位審査のあと卒業式までの間に少々の時間があっても新しいことを始める訳にもいかず、中途半端に時間を潰していたことを覚えています。全員一律に始めて、終わらなければならない日本に比べて、アメリカのシステムの方が、サイエンスの性格にあった実利的なシステムだと思います。
 

   卒業時期がランダムということは、ポスドクを始めるタイミングもランダムということになります。そのためアメリカのフェローシップは取得者の希望の時期に始めることができます。例えば、今月学位を取得しても半年間は今のラボでポスドクとして滞在し、来年1月からフェローシップのお金を使って、次のラボでポスドクとして働き始めることもできるわけです。お金の問題のために仕事をまとめるタイミングや引っ越しをするタイミングを考えなくて良いので、無駄が少ないと言えるでしょう。

   事務的な手続きの面では、アメリカのシステムの方が遥かに、研究者に優しく実質的なシステムだといえると思います。日本の研究職は雑務が多いイメージがありますが、一つには事務が研究者をサポートするのではなく、研究者が事務のルールに沿うために、いつも努力をしなければならないためかもしれません。このようなところでも、文化の違いが見られて、面白いと思います。
 

(コンドン)
2009年7月掲載

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